内容説明
『“帝国”』『マルチチュード』『コモンウェルス』などで最重要の思想家アントニオ・ネグリの核心にあるものとは何か?真のマルクス主義政治哲学を追求するネグリの思考の展望を、レーニンやドゥルーズに導かれ、そしてバディウ、バリバールら同時代人との対決をみることで、気鋭の論者が鮮やかに描き出す。
目次
序章 アントニオ・ネグリの孤独―ランシエールからフーコーへ
第1章 「その糸で首を吊って死んでしまえ!」(存在論に踏みとどまるために)―ネグリとバディウ
第2章 レーニンなしにコミュニストであることはできない(主体性を手放さないために)―ネグリとバリバール
付録 アントニオ・ネグリ「消え去る媒介」―エチエンヌ・バリバール『ヨーロッパ、アメリカ、戦争』書評
第3章 ここがロードスだ、ここで跳べ。―ネグリのレーニン主義における七つのモメント
第4章 怒りか、恥辱か(マルクス主義政治哲学のために)―ネグリとドゥルーズ
終章 BACK TO THE FUTURE!―ネグリとフーコー
著者等紹介
廣瀬純[ヒロセジュン]
1971年生まれ、龍谷大学経営学部准教授。パリ第3大学博士課程中退。専門は、映画論・現代思想(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ひろゆき
3
第三章までは理解しやすく、特に第二章のバリバールの書についてのネグリの批判などはとても参考になった。が、第四章で認知資本主義云々から、ついていけない。とばしすぎ。アトムの交わることない垂直落下がアクシデントでしか交わらないことを富者/貧者の関係で比喩で用いるあたり、はああ?論理が受け入れられないのではなく、展開早すぎついていけず。示唆は受けるが、ネグリの解説書期待していたので…2015/06/04
nrk_baby
3
前提の知識が欠け過ぎているなぁ。適宜調べながら読んだけれど、やはり理解度は浅いのでいつか再読すると思う。2014/08/18
kentaro mori
2
⚫︎ネグリから我々が学ばなければならないことはいまやはっきりしている。存在論になんとしてでも踏みとどまること、しかし同時に、主体論をけっして手放さないこと。その名に真に値する政治哲学は存在論と主体論との接合のほかにいっさいあり得ないということをここでもう一度はっきりと確認すること。政治哲学とはマルクス主義政治哲学のことであって、「政治哲学」の名のもとで発せられるそれ以外の言説はすべて戯言に過ぎないということをここでもう一度しっかりと思い出すこと。しかし、実際、存在論と主体論とを無媒介に接合させるという試み2024/03/31
こややし
2
廣瀬純の本は元気が出るね。それが例え「絶望論」であっても。「理性の楽観主義」をいうネグリと共にあろうとするからかw。バディウ、バリバールを批判するネグリを読み解きながら、ネグリとドゥルーズ=ガタリ、ネグリとフーコーとが共有しているものを見定め、それを己のものとする作業。マルクスとレーニン(存在論と主体論)を手放さず、「未来へと帰還」すること。2017/03/08
tomomi_a
0
憎たらしいものを含めて世界を信じること。受け取るのはそのことだった。シネキャピタル~絶望論~アントニオ・ネグリ 同じことを繰り返し、大事なことを抱きしめながらいまここへと回帰しつつ深化する、こういうのを希望って呼ぶ。2014/01/31