内容説明
アール・ブリュットの唱道者にして20世紀フランスを代表する画家はいかにして生まれ、いかにして現代美術に架橋したか?従来の西洋芸術の価値観を反転し、反文化的創造の道を開示した特異な才能、めまぐるしく変容する作風と軌跡―その原動力とは?ブルトン、アルトー、セリーヌ、マルローをはじめとするあまたの芸術家・文学者との交流と同時代の思潮を浮き彫りにし、多彩な先駆的創造活動の全貌に迫る、待望の書き下ろし評伝。
目次
ワイン卸商の息子
別の芸術を求めて
他人の顔、他人の土地
波瀾の反文化的芸術
ウルループの新次元
記憶の劇場
著者等紹介
末永照和[スエナガテルカズ]
1931年北海道生まれ。近代美術史、美術評論。東北大学文学部美学美術史学科卒業。桜美林大学教授(名誉教授)、実践女子大学教授、多摩美術大学講師などを歴任。国際美術評論家連盟会員。1984年『ジェームズ・アンソール仮面の幻視者』で芸術選奨新人賞受賞(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Akihiro Nishio
21
アール・ブリュット本2冊目。アール・ブリュットの名付け親であるデュビュッフェの評伝。彼は、若いころに美術を学ぶが「オリジナリティが見いだせず」、徴兵を機に絵をやめ、ワイン卸業で生計を立てる。精神障害の人が描く絵には20代で出会い感銘を受けていた。43歳で事業に余裕が出来て、自分の楽しみだけに絵を描き始めたところ突然ブレイク。多作な絵描きとしての人生を歩む。絵の修練を受けていないアール・ブリュットの作家たちの作品に美を見いだした画家は、自然の至るところに、ちょっとした落書きにも美を見いだし制作が止まらない。2017/11/06
たろーたん
1
アンフォメル運動に関連付けるのが割と美術的にには定説で、精神障害者の芸術が核になっていたアール・ブリュットを推してた人。文化は基本的には支配階級が作ったモノで異なるものを振るい落とし、良いとされている芸術は学者の頭の中で人気を博したモノとして、文化を息が詰まるモノと批評していた。故に、狂人と呼ばれた人の作品の希少性に価値を置いたいたのだろう。作品を見ると、絵に統一性がなく、無限増殖した異質な細胞って感じだった。事物を描いたモノは、まさに狂人が描いた絵で形が歪み、色のぐちゃぐちゃ感が堪らない。2023/12/01
メルセ・ひすい
1
巨匠という言われ方を拒否する仏現代美術の代表者 「大物!」 1950年代に、マチス・ドランが亡くなり、期待のニコラ・ド・スタールが41歳で自殺し、1963年にはブラック、68年にデュシャンの訃報が届く。奇跡の画家バルチュスを除いて誰もいなくなった。独走して逆説的な芸術家残された。アール・ブリュットの唱道者にして20世紀フランスを代表する画家はいかにして生まれ、現代美術に架橋したか。数多の芸術家・文学者との交流と同時代の思潮を浮き彫りにし、多彩な先駆的創造活動の全貌に迫る。2013/01/29
Auristela
0
ブルトンがキレた2015/03/25
dilettante_k
0
ジャン・デュビュッフェの生涯には、常に『反(anti-)』の接頭辞がつきまとう。標的を定めるや、相手が大物だろうが親友だろうが、或いは芸術・文化そのものであろうが容赦ない攻撃を浴びせかける様は、まさに「爆弾製造者」(マンディアルグ)と呼ぶに相応しい。巧妙さとあせりがない交ぜになったスキャンダリスト、そして既存の体制を壊乱し、『生の芸術(l'art brut)』への純化を志向するモダニストでもあったデュビュッフェ。矛盾を捨て置き、画定をすり抜けながら凶暴な芸術爆弾を投げつけ続けたドン・キホーテの痛快な評伝。2013/01/30