内容説明
いま音楽を語るとき、何を前提とすべきなのか?テクノロジーの土台の変化によって、「音楽」そのものが動揺しつつある現状を思考すること、音楽に絡みつく「日本」の現在に介入すること、既存の音楽言説が自明とする諸概念を疑うこと。音楽批評言語の組み替えを通じ、新たな「聴衆」をつくる野心的思索=投機。
目次
第1章 聴衆の生産―「聴くこと」の文化研究
第2章 ジャンルの牢獄
第3章 形式美学の限界―小泉文夫の歌謡曲論について
第4章 誰が誰に語るのか―Jポップの言語行為論・試論
第5章 日本語ロック論争の問題系―はっぴいえんど史観を留保する
第6章 記号としての「ニッポン」―軽やかに歌われる君が代ポップ
第7章 音楽を「所有」すること―「大地讃頌」事件と著作権制度
第8章 複製技術の時代の終焉
著者等紹介
増田聡[マスダサトシ]
1971年北九州市生まれ。音楽学/メディア論専攻。大阪大学大学院文学研究科博士後期課程修了。博士(文学)。現在、大阪市立大学大学院文学研究科専任講師。日本ポピュラー音楽学会理事(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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水紗枝荒葉
1
音楽批評批評の本。音楽の言説はインターネット以後どんどんファンベースになっていったけれど、そういった「愛着のディスクール」をずらして音楽について書こうとする人にとっては心強いTips集になるだろう。なおインターネット以後浮上したもう一つの音楽言説の系譜がポピュラー音楽研究であり、この本は2006年、研究者は割と増えたがまだ一般認知度が低い時期に書かれた。研究は当然「愛着のディスクール」をずらさなければできない。2024/03/16
子音はC 母音はA
1
音楽を好き嫌いの美学に終始させる言説ではなくその価値判断に至らせる文化システムを見抜く方法論。さらに音楽にまつわる著作権の問題を提起する。音楽の創造性は流動的で法に縛られず軽やかすりぬける。複製技術が既得権者のものではなくなった時代が要請するものとは。2014/07/17
寺基千里
0
音楽批評を始めるための1つの「土台」となるのが本著だと思う。音楽を語るという事、音楽ジャンル、音階論、音楽における歌詞など音楽にまつわる様々な視点から音楽をいかに考えていくのか、言語化していくのかといった複数のスタートラインが提示されていた。 音楽ジャンルや歌詞、日本語ロック論争といった自分自身に馴染みのあるセクションでは比較的スムーズに読み進められ、視座も得られたが、音楽美学や著作権、音楽という複製物といった観点になると僕の勉強不足もあり理解に苦しむ所もあった。これをきっかけにその辺りをカバーしたい。2020/03/29
たろーたん
0
「愛着のディスクール」(好き/嫌いにもどつく音楽言説)が印象に残った。音楽を語る時、「これが好き」「このリズムがいい」という形でしか語ることが出来ていない自分に気づかされた。それは音楽を語るというよりも、自分を語っているんですよね。サイモン・フリスが「ポピュラー音楽は芸術ではなく、衣服のようになってしまった」と言っていて、「この服のここが好きだから買った」みたいな自分のIDと結びついた語り方しかできず、対象と距離を置いて語るようなやり方が出来ない、知らない状態になっている。なぜこうなってしまったんだろう?2019/05/14