内容説明
ベイトソンの学習理論、フロイト‐ラカンのシニフィアン理論、マトゥラーナのオートポイエーシス理論などと、分裂病や神経症の臨床経験を独自に重ね合わせ、精神病理学理論に新たな地平を拓き、吉田戦車、D.リンチ、F.ベーコン、H.ダーガー、宮崎駿、庵野秀明など、特異な作家達の描く「顔」のなかに、人間の本質と文化の現在を読み解く、野心的な試み。
目次
「顔」における主体の二重化
第1部 文脈の分析(「運動」の倫理―あるいは表象コンテクスト試論;妄想漫画事始め;吉田戦車論―健常なる破瓜病;リンチ状無意識―リンチとベーコン;ファリックガールズが越境する;ふくしま政美・去勢されざる魂;エヴァンゲリオン;人格としてのメルヘン)
第2部 文脈の生成(ウィルス性唯物論者;「存在しない女性」の効用―「サブリミナル」と女性の表象;回帰する「学習2」―ラカン・ベイトソン・高野文子;抱擁函あるいはドゥルージアンの発達;コンテクストのオートポイエーシス;箴言の基体としての精神病理学)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ころこ
45
著者の主著といってよい最初期の本書ですが、第5章から『戦争美少女の精神分析』が生まれるなど「原液」のアイデアに満ち溢れています。書き慣れていないせいか文章のリズムが無く、読み易い配慮に欠けていることは否めません。第13章が本書の主題ですが、脱ラカン・メタ精神分析としての器質的ベイトソン学習理論を提唱しています。このモデルは精神分析を全く否定しているわけではなく、精神分析主体と器質的主体のカップリングであり、学習理論が可謬的で、オートポイエーシスであるということは審級が無いという現代性を持っています。2022/04/20
またの名
7
顔=固有名=コンテクストという困惑させる定式を出だしからぶち上げて、批評対象に相応しくされた奇妙なリズムの文体で漫画等のサブカルを分析し、理論編でラカンをドゥルーズ、ベイトソン、マトゥラーナと結合。心因性に特化した精神分析の行き詰まりをむしろ器質論的な理論で解決させる、途方もないキレキレの論考集。合間に挿入されるサブリミナル論、気質論、人格概念の批判が想像的なナルシシズムを狙っているのに文体がどうもナルシシズム的な臭いを放っているという固有性が、なんとも小気味良い。全体性を断念できない独学者の件がツボに。2014/03/02
晴間あお
4
用語の知識がないと読みにくい。つまり自分には難しすぎた。が、わからないなりにとりあえず読了。知らない言葉も文脈で意味がわかってくるというから、わからないものはわからないままとりあえず頭の片隅に放り込んでおく。別のどこかで「あれはこういう意味だったのか」とわかる事に期待(と言ってもそんなに覚えていられないけれど)。ベイトソンの学習はなるほどと思った。何事もただやるだけでは効果は薄いと思っていたけれど、それは学習の学習の必要性をなんとなく意識していたのかも。ある知識は別の文脈で役立つ事もある。2018/05/09
有沢翔治@文芸同人誌配布中
3
東浩紀と並ぶ二大巨頭のサブカルチュア研究家です。東はジャック・デリダやボードリヤールを軸に分析していますが、斎藤環は精神科医ラカン、ドゥルーズ及びガタリや、人類学者、ベイトソンなどを軸にマンガ・アニメ、アウトサイダー芸術などを分析しています。https://shoji-arisawa.blog.jp/archives/50986827.html2010/01/31
PukaPuka
3
ベイトソンの学習とオートポイエーシスの話には乗れず。2020/06/27