内容説明
陶酔と恐怖、珍奇と邪悪、倒錯と歪曲、狂気と幻想など、綺想の美を遍歴し、異形の思考を極めるマニエリスム―。その逸脱や偏倚の美と、過剰と混淆のエネルギーが交錯する世紀末現代の文化諸相を、大胆鋭利に分析する。
目次
リッポマニアック―身体が開かれていくことについて
アルス・マカロニカ―悪趣味について
「エクスポーズ」するいやはて―死のヴィジョンという逆説
メタモルフィズム―マニエリスムから美容整形まで
庭という絵「空」ごと―もうひとつのカステロフィリア
マニエラの舌―メディアとしての料理
アイリッシュ・シチュー―『フィネガンズ・ウェイク』の料理
サポーレ・サペーレ―カルヴィーノ味読
「豊かな食卓」の幻影
フローラルな悪意〔ほか〕
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ドワンゴの提供する「読書メーター」によるものです。
take0
6
1999年刊。ファンと言いつつ未読のものがあり、これもその一冊。エピローグの言によれば「マニエリスムを前面に押しだして丸々一巻」とのこと。本文中にある極めて分かりやすい記述から引用すれば、「言語やイメージにおける沈滞を、かつての材料をバラバラにして再編成する結合の妙をもって突破しようとする技術とその理論をマニエリスムと呼ぶ。」そのマニエリスムの位相においてバッハの音楽を語り、「何でもない材料を意表をつく結びつきで別次元のものに」変える料理、等々語っていく。2018/11/16
白義
6
マニエリスムを丸々一冊主題にしたホッケオマージュな書で、料理など身体に働きかけるようなものについて特に筆を割いている。懐かしき料理の鉄人から始め料理とは異種を繋げ混沌の饗宴を魅せるマニエリスム的なメディアであると決めるマニエラの舌が面白い。そもそも食べるとは食物を分解吸収し自分の身体を組み換える行為でありそれ自体が変身とも言える最も身近な驚異であり、陽気でリズミカルな高山宏の文章とも極めて相性のよいものなのは道理だろう。メディア性、見世物性を忘却したアイアンシェフの迷走も納得がいく2013/03/09
ぎんしょう
1
「翻訳して欲しい」と言っていたはずの本が次の章で「翻訳しました」と出てきたりして、まさに「翻訳家」高山宏おそるべしである。内容としては食についてが多数。「食べる」ことは隠喩として性的な意味もあるし、また「知を食べる」という形式にもなる。この繋がりを以て文化を見た時どのような「おいしい議論」が「料理される」のだろうか? 味読せよ。2011/11/13
ルートビッチ先輩
0
大きく言えば「近代」というものが何かの「表象」の体系として作られてきたときに外側へ追い出されたものについての興味が一貫している。そういったものへ高山宏の目を開かせたのがグスタフ・ルネ・ホッケ『迷宮としての世界』だったために、そういったものはまとめて「マニエリスム」と呼ばれている。それは硬直した中心を「驚異の術」で賦活させるような身振りだ。グロテスクも、エキセントリックも。トイレもおならも料理も笑いも。もの足りないとすれば道化だが、散見されるところで満足しながら、山口昌男にかえるべきなのかもしれない。2015/01/10
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- 有坂ちあき/蒼灯




