出版社内容情報
「なぜ人を殺してはいけないのか」「美とは何か」...ビッグ・クエスチョンはあまりにも「大きい」がゆえに、その前ではあらゆる人が平等とならざるをえない。さらにこれらの問題の途方もない「大きさ」は、人々を対話へとうながす。本特集では、現代を生きる私たちが思考する自由を取り戻し、世界を新たに再編する手がかりともなりうるものとして、ビッグ・クエスチョンを捉えなおす。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
壱萬参仟縁
54
図書館より拝借。4本の論文が注目できた。人を殺してはいけない理由、死んでからどうなるか、言語とは、自由とは、という各種の問いである。だが、私には、いまいち釈然としない。もやもやが残っている。というのは、京アニ事件があったり、ガザ地区がある。また、令和6年能登半島地震の否応ない死がある。言語のコミュニケーションのあり方とヲヤジが何をしゃべってもだんまりを決め込むサイコパスや、自由なんてしょせん無理、とか。もっと、様々な思考をめぐる必要があるのだろう。。2024/02/03
jjm
13
「人はいずれ死ぬのに、なぜ生きなければならないのか?」「なぜ人を殺してはいけないのか?」「神の存在は証明できるのか?」「人は死んだらどうなるのか?」「宇宙はどのように始まり、どのように終わるのか?」「時間とは何か?」「戦争のない世界は可能か?」等々扱っているので、つい食いついてしまう。「人間は自然をコントロールできるか?」の中で、丁度読んでいた『魔の山』が出てきて、お!と思う。「サナトリウムでは死が日常であり、生は解けない謎である。…「魔の山」は現世に存在する異界として厳然として存在し続ける」2024/02/24
Zensohya
1
アダム・タカハシ「神の存在は証明できるか?」。「注意すべきなのは、神が失われるという事態がもたらした精神的な影響の深度である。神という存在はいずれ消失しうるものだと初めから想定している場合、「神の死」はフロイトの(略)「喪」として経験されるに過ぎない。(略)一定の時が経てばおのずからその喪失感は治癒されるはずだ。/だが、(略)近代における「神の死」は単なる「喪」で済む事柄ではなかった。その対象の喪失はふたたびフロイトの用語を用いれば「メランコリー」として人々を捕えつづけたのである。→2024/09/07
の箱
0
永井氏の夢のみ。/夢は現実と極めて似ている。そこでもたった1人から世界は開かれ全てがその中にある。しかし、ここにある私と他人の根源的差異はどの世界(たとえマトリックスや水槽脳や悪霊欺き世界)の中にも現れえない。/夢は現実に醒めるとき他者が私の内部へ偽として回収される。それでもこの<夢>概念と言語一般を私と共有するこの現実のあの他者たちは私と同じくたった1人で世界を開き全てをその中に収めているのではないかと疑われる/夢の実在論。私が死んで無となることは、この現実が醒めない夢となることか?2024/07/17
クリフトン
0
「ある」「死」「神」等など 哲学が始まって以来今だ問われ続けられていること 哲学は歴史に似ているのかもしれない 「邪馬台国」や「竜馬暗殺」のように 「ビッククエスチョン」を検索してみるとこんな例文が出てきた Because it seemed an appropriate time, he popped the (big) question without hesitation. : ちょうどいいタイミングだと思ったので、彼はためらうことなくプロポーズした 何やら無駄な肩の力が抜けたように思えた2024/02/22