内容説明
ハンセン病を得た人々が、集団になることではじめてできた活動とは何か。動けない「不自由」な者の「自由」とはどのようなものか。障害を越え、隔離壁を越え、人間の魂を耕し続けた人々の記録。
目次
序章 受難の物語を越えて―集団という問い
第1章 動けないこと/動かないことの潜勢力
第2章 留まる人々の「自由」―文化集団の拠点としての療養所
第3章 生活者としての経験の力―暮らしのなかの集団的実践
第4章 底辺から革新する運動―療養所を拠点とする政治的実践の動態
終章 隔離壁を砦に
著者等紹介
有薗真代[アリゾノマサヨ]
1977年、鹿児島県に生まれ、大分県中津市で育つ。九州大学文学部卒。京都大学大学院文学研究科(社会学専修)博士後期課程修了。博士(文学)。立命館大学専門研究員、カリフォルニア大学ロサンゼルス校客員研究員などを経て現在、京都大学大学院文学研究科非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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玻璃
3
「療養所で生きる」でも「療養所に生きる」でもなく「療養所を生きる」。このタイトルの意味を考えながら読んだ。第3章の生活実践の事例は圧巻の一言だが、ここを「人間って強かなんだな」と思うのではまだまだ理解が浅いのだろう。なぜなら、人目にもつかない日本の最底辺で、逃げられない閉鎖的な空間での貧富の差に困った末なんとか生活を豊かにしていこうとした試みだったのだから。誰に命じられることなく作業を分担し、誰も取りこぼすことなく楽しみを分かち合う。初めて知ることばかりだった。2019/11/07
yoooko07
1
移動可能な者によって運ばれてくる力を、みずからのうちに折り畳み、それによって、自己と周囲の人々の生を豊饒化させること。この「生の豊饒化」は、奪われた生の形式を取り戻すこと、あるいは、押し付けられた単一の生の形式を複数化すること、といいかえることができる(P83)内容と形式において自他を肯定し続ける営みが、結果的に、改革への推力となることもあるのだ(P165)「閉じる」ことによって「開く」、「守る」ことによって「攻める」とう、両義的な運動性が求められたのである(P178)2019/07/02
コーキ
1
可動性と脱出ばかりが自由への道ではない。動けない、動かない、そこに留まるということもまた、自由につながりうるのだという。「入所者たちは、権力の側から押しつけられた境界線を、自分たちの側から引きなおすこと--隔離壁を砦にすること--を試みたのではないだろうか」(p177)。2018/03/24
kyameru
0
賭博と酒を売っていた話が印象に残った。2024/11/04
nobuharuobinata
0
ハンセン病療養所の状況や抵抗運動を伝えるではなく、療養所という存在、療養所による隔離収容政策を、社会学の学問に基づいて分析したもの。2023/12/03