内容説明
目にも見えない、手でも触れえない神さまと水の洗礼とにどんな関係があるのか。救われるとはどういうことか。人間が出会うさまざまな事例をとおして語る。
目次
第1章 神さまとは―そのつなぎとしての秘跡
第2章 救われるのは誰か―宣教の動機の一断面について
第3章 絶望から希望へ―ミサ聖祭の一断面
第4章 どうしたらいいの?―星光暗夜
第5章 仲間について―最上の喜びへの道
第6章 ヒューマニズムをこえるもの―愛と自由と苦しみについて
第7章 心、この不思議なもの―グリーン・カードと聖心の信心
著者等紹介
粕谷甲一[カスヤコウイチ]
1923年インド、コルカタ市に生まれる。1944年受洗。1950年東京カトリック神学院入学。1951年オーストリアインスブルックに留学。1957年スイスバールにて叙階。1959年帰国。浅草教会、アリの町教会で司牧。1961年真生会館館長、カトリック学生連盟指導司祭。1967~1982年青年海外協力隊勤務。1995年~NPO法人「芝の会」理事長。2011年2月9日帰天(87歳)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
優希
70
神様と水の洗礼にはどのような関係があり、救われるとはどういうことかを説いています。目に見えず、手に触れられない神様ですが、人々は気づかないうちに出会い、救われているのは事実だと思います。様々なことに出会いますが、その事例を通して語られた救いは確かに祈り求めていることのように感じました。カトリックでもプロテスンタントでも、神様の存在を常に感じて出会っていくことで救われていくのかもしれません。2016/08/29
yumicomachi
4
2011年に帰天した司祭の講演録だからエピソード等は古いものもあるが、キリスト教教義の本質を平易で含蓄のある語り口で伝えてくれる。2018/03/17
坂井信生
0
カトリックの粕谷甲一司祭の講話集第2巻。 どの章からも、ボクサーのボディブローのようにズシンと何か重いものを喰らうような読後感。ポジティブな意味でのヤバイ人でありヤバイ本だと今回も感じた。 ところで第1巻と同様たびたびカール・ラーナー司祭のエピソードや著書からの引用があるのだけど、そちらも気になってググったら邦訳されている著書もあったので『キリスト教とは何か : 現代カトリック神学基礎論』を読みたい本に登録。2025/03/01