内容説明
現代日本はアイドルが活躍する「平和な国」である。しかし一方で「慰安婦」問題という難題もかかえている。二つを結びつけたとき、「アイドルの国」は戦争の影をおび、性暴力にあふれた場所に見えてくる。「性の商品化」「身体の経済化」として現象する現代日本の暴力を、文学と社会風俗を対比しつつ鋭く暴いていく力作評論。
目次
第1部 アイドルとナショナリズム(アイドルと戦争の風景;アイドルとJKの間;ポルノグラフィと傷;革命とジェンダー)
第2部 「慰安婦」をめぐる想像力(「慰安婦」と情動;戦争と恋愛のトリック;記憶のなかの戦時性暴力)
著者等紹介
内藤千珠子[ナイトウチズコ]
1973年生まれ。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。現在、大妻女子大学文学部教授。近現代日本語文学、ジェンダー研究。著書:『帝国と暗殺―ジェンダーからみる近代日本のメディア編成』(新曜社、2005年、女性史学賞受賞)ほか(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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katoyann
18
女性アイドルのファンがアイドルに仮託しているイメージや戦時性暴力を扱った小説作品を分析した本。アイドルファンは戦争とそれに付随する男らしさを女性アイドルに投影しているのではないかという分析は斬新である。著者が言うように確かに女性アイドルの消費は、性的客体として女性を記号化する行為であろう。林芙美子の『浮雲』や中島京子の『FUTON』の分析も性暴力を肯定する男性のジェンダーイデオロギーという観点からなされていて新鮮だった。ただ、アイドルと帝国的性暴力の関連性がよく分からなかった。2024/07/20
田中峰和
5
アイドルに熱狂する行為は平和な証拠と思いがちだが、著者の発想は真逆。自分自身が争うことを放棄して、アイドルの人気投票などにお金を投入して自分の推しを勝たせる。現代のアイドルが生きる戦争の物語は、女性の性的身体が消費されることに置き換えられる、AKBの歌詞に多い「僕たち」。アイドルを応援し一緒に戦うことは、僕たちの身代わりとなって戦ってくれる自分自身の物語でもある。自らが戦う現実の競争から目をそらす代理戦争のようなもの。残念なのは慰安婦問題に飛躍する論理矛盾。現実と乖離しているとしか思えない。2021/11/22
古書屋敷こるの
4
どうしても「アイドル」という言葉に目がいくものの、本書の主題は、帝国が作り上げた歴史的なシステムが性暴力を産んでいる様を、丁寧で的確な作品分析を通して示すことにある。まず扱う作品の選定からその眼差しの確さを感じた。「傷つく」ことへの一つの方法論としての「共感のフレーム」という提示に本書の未来への歩み方があらわれる。 一方、アイドルについては実際のアイドル事情に切り込めず、語られてきたアイドル像の範囲にとどまっているようでもあった。2022/11/17
ガジ
2
一年ほど積読だったので読破出来てうれしい。4章の共感のフレームはかなり使えそう。 日本のアイドルが身体を商品として扱う点で、性暴力として問い直されるべきなのかもしれない。代理戦争のくだりは完全に同意とまではいかないけれど、傷を負う、競争をさせられるような点は著者の主張に賛同出来る。 ただ、一部と二部の接続がよく分からない。なぜこの2つを並べたのか、ナショナリズムと性暴力の関連としてなのだと思うけれど、その2点の繋がりは理解できなかった。結びついているといいきれるのか。2022/12/12
涼
1
文章が硬質である。読みづらいとも言える。「帝国的性暴力」というのは著者の造語で、キーワードでもあるが、今後この言葉が流通するかどうか。2022/09/08