“責任”の生成―中動態と当事者研究

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“責任”の生成―中動態と当事者研究

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  • サイズ B6判/ページ数 432p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784788516908
  • NDC分類 104
  • Cコード C0010

出版社内容情報

内容:
わたしたちが<責任あるもの>になるとき――『暇と退屈の倫理学』以降、お互いの研究への深い共鳴と応答、そしてそこから発展する複数の思考を感受し合いながら続けられた約10年間にわたる共同研究は、堕落した「責任」の概念/イメージを抜本的に問い直し、その先の、わたしたちが獲得すべき「日常」へと架橋する。この時代そのものに向けられた議論のすべて、満を持して刊行。

まえがき/おわりに より:
――――われわれは二つの研究が共鳴していること、またその共鳴が自分たちの中で複数の考えに発展しつつあることを感じ取っていた。しかし、人はみずからが考えていることをすべて意識できるわけではない。だからわれわれは二人の間という一つの場所でそれを言葉にしていく作業を必要としたのである。
――――『中動態の世界』の副タイトルには、意志のほかにもうひとつ、重要な概念があった。それは「責任」である。そして、本書における最大の収穫の一つは、この「責任」の概念を中動態的に捉えなおすことができた点にあると思う。

内容説明

わたしたちが“責任あるもの”になるとき―『暇と退屈の倫理学』以降、お互いの研究への深い共鳴と応答、そしてそこから発展する複数の思考を感受し合いながら続けられた約10年間にわたる共同研究は、堕落した「責任」の概念/イメージを抜本的に問い直し、その先の、わたしたちが獲得すべき「日常」へと架橋する。この時代そのものに向けられた議論のすべて、満を持して刊行。

目次

序章 「中動態」と「当事者研究」(「当事者研究」に先立つもの;「医学モデル」から「社会モデル」へ―パラダイムチェンジの背景 ほか)
第1章 「意志」と「責任」の発生(使い勝手の悪い日常言語;『中動態の世界』と当事者研究 ほか)
第2章 中動態と「主体」の生成(意志とは切断である;意思決定支援と欲望形成支援 ほか)
第3章 自己感・他者・社会(自己を維持するにはコナトゥスに逆らわねばならない;コナトゥスと退屈しのぎ ほか)
第4章 中動態と「責任」(「意志」と当事者研究;「使う」という哲学 ほか)

著者等紹介

國分功一郎[コクブンコウイチロウ]
1974年千葉県生まれ。東京大学大学院総合文化研究科准教授。東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)

熊谷晋一郎[クマガヤシンイチロウ]
1977年山口県生まれ。東京大学先端科学技術研究センター准教授、小児科医。新生児仮死の後遺症で脳性麻痺に。以後車いす生活となる。東京大学医学部医学学科卒業後、千葉西病院小児科、埼玉医科大学小児心臓科での勤務、東京大学大学院医学系研究科博士課程での研究生活を経て、現職。専門は小児科学、当事者研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

夜間飛行

189
昔は症状は社会から見た害悪という視点しかなく、個人にとっての意味の探究など皆無だったらしい。症状の意味を社会的文脈から切り離し、現象としてグループ内で扱う研究をしているのが熊谷さん。その当事者研究に國分さんの中動態が役立つという。社会の諸制度が多数者向けにできているように、言語も多数者向けの「(意志を問う)尋問の言語」になっている。そこで中動態の視点から意志や責任を問い返していく。ASDの立場や嗜癖の話が興味深かった。私は何となく中島敦の作中の李陵や司馬遷などヒロイックな意志とは対極に生きた人々を想った。2021/07/11

sayan

59
「一度免責することによって最終的に引責することになる」、と言う中動態の考え方(の一部)は、当事者研究の実践と相性が良い。意思決定と欲望形成を巡る支援議論は非常に刺激的で、本書の「責任の生成」が意味するであろう事が少しつかめた感覚を味わう。依存症、そして当事者研究に対する議論は、自明とされた「人は合理的だ」に楔を打ち込む。能動vs受動の枠組みでは見えなかった人の非合理性とその構造を明らかにする。この文脈で、援助開発や人権政策を担う外交の場で、例えば「保護する責任」や「人道的介入」に対して新たな価値観を生む。2021/03/11

ネギっ子gen

57
【良書】互いの研究への深い共鳴の中で、複数の思考を感受し合いながらの共同研究は、「責任」の概念を抜本的に問い直す――。この時代そのものに向けられた「対談」形態で書かれた「研究の記録」。「まえがき(國分)」に、<研究は、ただし、明確な出発点を持っていた。それは熊谷晋一郎さんがこれまで行なってきた当事者研究についての研究であり、私が著書『中動態の世界』で公表した中動態についての研究である。われわれは2つの研究が共鳴していること、またその共鳴が自分たちの中で複数の考えに発展しつつあることを感じ取っている>と。⇒2022/09/14

ころこ

43
木島泰三『自由意志の向こう側』の前半に、決定論と運命論の議論があります。決定論+目的論である運命論が厄介なのは、この目的論の部分を上手く処理できない人間の問題として、科学における運命論の混入が近代以降に生じることが後半の論点になるのでした。そこに本書の議論を踏まえると、実存的に考えれば目的論を強化しがちですが、むしろ決定論から目的論を弱めることに当事者研究は貢献しており、さらに中動態は同じ考え方をしていることが理解できます。行為を外在化し、自然現象のようにして捉える。免責すると、外在化された現象のメカニズ2021/06/07

pirokichi

26
対談形式なので、難しいけどわかりやすく、面白かった。「意志することは始まりであろうとすることである。意志することは忘れようとすることである。意志することは憎むことである」…「意志」について単純に良い意味でしか捉えてなかったので、意志とは切断・思考停止だなんて、考えさせられた。おなかに切り目を入れられて実験台にされたミツバチの話は身につまされた。読書においても、そうならないように気をつけねば。2021/06/20

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