内容説明
私たちの周りは今や「美少女」のイメージであふれている。実在の「美人」よりも、ヴァーチャルな「美少女」に惹かれるのはなぜか?美少女はどこから来て、私たちをどこへ連れて行こうとしているのか?この不可思議で誘惑的な記号現象を、多面的に読み解く。
目次
1部 「美少女」という記号(帝国の美少女;美少女の存在論 ほか)
2部 一年後の「美少女」談義(鼎談 一年後の美少女)
3部 描かれる「美少女」(美少女と美術・美術史)
4部 ご当地アイドルとは?―「pramo」を迎えて(pramoミニライブ後のトーク;最終討論)
5部 記号論の諸相(「触れる」ことと「着る」こと―G・G・ド・クレランボーからの一考察;パースの合成写真の比喩と現代の自己概念 ほか)
特別付録 『有毒女子通信』第十六号特集「美少女を捕獲する」
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kenitirokikuti
4
予想と異なり、局所的な萌え論ではなかった。「美少女」と「美人や少女」との差を探ってみたりという内容▲「愛と正義の美少女戦士セーラームーン!」と“美少女”をつけるのはムーンだけという指摘。気づかなかったな/古い少女漫画では、美少女は意地悪なライバルキャラという感じ。まどマギのほむらも、闇堕ちすると「美」度がアップ。「美少女」の美とは、普通の意味での美ではないようだ▲ポピュラーなイメージの中で、「美少女」は非現実性、人形性、神聖性を強く帯びている。少なくとも「美少年」とはかなり違う。少年と少女は対ではない2017/09/16
ルンブマ
3
安齋 詩歩子(2012)「『触れる』ことと『着る』こと̶̶G・G・ド・クレランボーからの一考察」が面白い。クレランボーは「接触愛好症」を提唱した10年後(1918)、北アフリカのモロッコに赴くことになる。第 一次世界大戦で自ら志願して前線に赴いた彼は、モロッコにその療養のために滞在していた。そして大戦後の1918年から1919年の間、モロッコを再び訪れ、「ハイク Haïk」と呼ばれる一枚布で着付けられ るモロッコの民族衣装の写真を撮影している。2022/03/05
センケイ (線形)
3
少女に「美」がつくと尚更男性目線の産物に見えるが必ずしもそうでなく、女性が距離を置きつつ「なる」ものとしての少女像が、浮かび上がってくる。なるもの、つまり美少女はその実在を認めようと認めまいとフィクション性を持った概念である、というように感じられた。それこそが、儚さといった意味も併せての美ということだろうか。章ごとに見るとやや結論のあいまいさを感じるが、しかしそれだけ広がりのある話題ということを(意図して)示しているのかもしれず、読後感は良い。記号論という分野の広がりにもいろいろな期待が沸いてくる。2018/05/30
ゐ こんかにぺ
1
最後の方は「美少女」+記号、みたいな感じが。 美少女、は演じるものなんだろうか。2019/02/09
lyrical_otoca
0
加藤隆文氏の論考にあった自己は常に後からのみ認識されるという内容は全く自分の中になかった認識だったけれども言われてみると確かに……とハッとさせられた。特集の「美少女」の論考と踏まえると、「美少女」に関係なく人間の自己って概念的なものなのかもしれないと思うと面白い。アメリカでは少女マンガというカテゴリがないので日本だと男の理想の「美少女」と思われがちな宮崎駿の描く少女達がフェミニストに好意的に受け入れられていたの興味深い。平成中期の本なので令和の今作ったら内容変わりそうな気はする。2025/02/14