出版社内容情報
明治三〇年代、日清・日露の戦争を足がかりに日本は近代国家としての体裁 を整えました。しかし、その時期すでにシステムはほころびを見せはじめて いました。本書は、この興味深い時代のさまざまな言説を、ただ一つの「物語」に収束させて「理解」することなく、境界、内部/外部、殖民、冒険、 消費、欲望、誘惑などをキーワードに、複数の「物語」が渦巻く場、「帝国的」としか呼びようのないあり方として浮かび上がらせます。従来の文学研 究からは考えられない、カルチュラル・スタディーズとも関心を共有するス リリングな研究です。『メディア・表象・イデオロギー』(小沢書店)の続編。
本書は「明治三〇年代」において形成された日本「帝国」の言説編成をトータルに記述しようとするものではない。少なくとも、本書は単一のマスターナラティブに還元可能な個別的な言説領域を記述することによって、その集合体として「帝国」の言説編成の全体像を明らかにするというプランを前提とするものではない。むしろ個々の論文の関心は「帝国」日本を支える大きな物語を構成=再構成しようとする思考によって意図的に背景に押しやられるものに向けられているいってもよいだろう。それは、安定した物語を構築し、それを永続させていく予定調和的なベクトルに抗う、ナラティブの間の偶発的で一回的な結びつきであったり、ナラティブに刻印された裂け目であったり、ナラティブの内部で忘れられようとしている矛盾の痕跡であったりする。そこに現れているのは、事後的にのみ語ることのできるナラティブのまさに事後的に語れるようになるそのこと自体に、そこに働いた力の痕跡を見出そうとする姿勢である。(本文より)
内容説明
「日本」「日本人」はどのように立ち上げられたか?近代国家「日本」を形成した明治30年代の諸言説をとおして、「日本人」の認識地図を浮上させる。
目次
1 “境界”のゆらぎ―溶解と切断(裸体画・裸体・日本人―明治期“裸体画論争”第一幕;病う身体―「血」と「精神」をめぐる比喩;与謝野鉄幹と“日本”のフロンティア ほか)
2 “私”の行方―欲望と誘惑(もっと自分らしくおなりなさい―百貨店文化と女性;“食”を“道楽”にする方法―明治30年代消費生活の手引き;少年よ、「猿」から学べ―教育装置としての『少年世界』)
3 内包される“外部”―越境と漂流(表象される“日本”―雑誌『太陽』の「地理」欄1895‐1899;「テキサス」をめぐる言説圏―島崎藤村『破戒』と膨張論の系譜;“立志小説”の行方―「殖民生活」という読書空間 ほか)
著者等紹介
高橋修[タカハシオサム]
共立女子短期大学。「若松賤子訳『小公子』のジェンダー―「家庭の天使」としての子ども」(共立女子大学『研究叢書』1999・2)、「『舞姫』から『ダディ』へ/『ダディ』から『舞姫』へ」(『日本文学』1999・4)
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