内容説明
古墳時代後期、眼下に河内平野が広がる大阪府八尾市の高安山麓斜面に、円墳が重なるように築かれ、いまも二三〇基が残る。大きく精緻な石室に葬られた人びとは誰か。河内平野に展開する集落と群集墳との関係を検討し、東アジアとつながる玄関口としての六世紀の河内にせまる。
目次
第1章 河内平野をのぞむ群集墳(「やまんねき」の大型群集墳;古墳時代の河内平野)
第2章 歴史のなかの高安千塚古墳群(戦場から名所へ;研究者たちの来訪;観光地になった高安千塚古墳群;戦後の考古学のはじまりとともに;国史跡化をめざして)
第3章 高安千塚古墳群を探る(高安千塚古墳群を歩く;石室からわかること;遺物からわかること;高安千塚古墳群の変遷)
第4章 古墳群に葬られた人びと(畿内の大型群集墳と高安千塚古墳群;高安千塚古墳群に葬られた人びと;河内平野の集落;半島からの玄関口、中河内と高安千塚古墳群)
第5章 「やまんねき」の自然のなかで
著者等紹介
吉田野乃[ヨシダノノ]
1964年生まれ、京都府出身。龍谷大学文学部史学科東洋史学専攻卒業。八尾市教育委員会文化財課市史編纂室主査、新版八尾市史考古部会専門部会員
藤井淳弘[フジイアツヒロ]
1971年生まれ、大阪府出身。東京学芸大学・大学院を経て、現在八尾市教育委員会文化財課係長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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月をみるもの
13
モースも訪れた高安千塚古墳群。ガウランドが撮った二室塚古墳の石室の写真に涙がちょちょぎれる。名が体を表している、この石室にはぜひ入ってみなければならない。幼き日の森浩一さんが、この古墳群から出土した装飾付器台を大阪城天守閣で見たというエピソードにも、古墳群とは違うレイヤーの歴史を感じる。2022/05/22
うしうし
5
メモを取りながら読了。 ・1879年(明治22年)にモースが開山塚古墳石室をスケッチ、1881~1888年(明治14~21年)にウイリアム・ガウランドが二室塚古墳などを写真撮影など、外国人研究者が注目(P20~23)。 ・江戸時代から大正時代にかけて、観光地としても周知。その当時は古墳群(墳墓)というよりは太古の穴居跡(住居)と考えられることが多かった。(P26~29) ・吉田初三郎(パノラマ風鳥瞰図)も1914年(大正3年)に『大軌信貴山電鉄交通図絵』で、古墳群の一部を描く(P29~30)。2019/11/18