内容説明
大発見以来、卑弥呼の住んだ宮都かと話題になってきた吉野ヶ里遺跡。一時期の喧噪が終息したいま、あらためて集落の成立から拡大、終焉までの展開をくわしく追究し、「倭人伝」記事との対照、中国城郭の影響などの検討をとおして、邪馬台国時代のクニの都であると論じる。
目次
第1章 吉野ヶ里遺跡の発掘(吉野ヶ里遺跡とは何か;吉野ヶ里研究の先人・七田忠志;ベールを脱いだ大遺跡)
第2章 はじまりの集落(草分け的集団の集落;環壕集落の形成)
第3章 佐賀平野の中核集落へ(二〇ヘクタール超の環壕集落;青銅器生産工房;甕棺墓列とその埋葬者;墳丘墓と首長層)
第4章 クニの大規模集落へ(四〇ヘクタール超の大規模環壕集落;南内郭は有力者の居住域か;北内郭は祭祀空間か;高床倉庫群は交易の場か;墳墓と祭祀;豊富な出土品が語るもの)
第5章 吉野ヶ里遺跡と邪馬台国(倭人伝と吉野ヶ里のクニ;中国文化の影響;巨大環壕集落の終焉;よみがえる吉野ヶ里)
著者等紹介
七田忠昭[シチダタダアキ]
1952年、佐賀県神埼市神埼町生まれ。國學院大學文学部史学科(考古学専攻)卒業。1977年、佐賀県教育庁入庁、文化財保護事務と県内遺跡の発掘調査を担当し、1986年~2008年の22年間、吉野ヶ里遺跡発掘調査の発掘責任者を務めながら国営吉野ヶ里歴史公園の整備事業に携わる。その後、佐賀県立博物館・美術館長を経て、現在、佐賀県立佐賀城本丸歴史館長(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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月をみるもの
16
三内丸山遺跡が縄文時代を象徴するように、吉野ヶ里は弥生時代を代表する超メジャー遺跡だと思っていた。しかし実際は、工業団地造成のために締め切りを切られた中で発掘されており、保存されるかどうかは綱渡りだった。というか、むしろメディアを利用して世論を誘導し知事に決断を迫ったというほうが本当みたい。よくもわるくも考古学の発展は、戦後の高度成長とともにあったのだと実感。2018/12/16
うしうし
3
吉野ヶ里遺跡はマスコミで大報道された直後に見学に行った記憶があり、それが1989年だというから、今から約30年も前のことになる。その後も1~2回見学したと思う。巨大な建物が次々と復元された様子には違和感を覚え、これが本当に弥生時代の実態なのだろうかと疑いを拭いきれないが、復元には根拠があるようだ。弥生時代後期になると、巨大な集落に対応する首長墓がなくなるといい、それに対する解釈もなされている(p68)が、説得力のあるものにはなっていない。事実の積み重ねより、遺跡の解釈が難しいことを実感する。2017/08/20