内容説明
「大化改新」という大規模な国制変革によって造営された飛鳥時代の難波宮。聖武天皇が再建した奈良時代の副都難波宮。一九五〇年代まではその場所もわからず「幻の宮」であったが、大阪城南方の発掘調査によって予想を超える荘麗な宮室が姿をあらわした。
目次
第1章 難波宮の発見と山根徳太郎(幻の宮;鴟尾の発見;苦難の発掘調査;ついに大極殿を発見)
第2章 難波宮への道(難波古代史の曙;古代難波の発展;激動する東アジアと国際都市・難波;難波宮の造営へ)
第3章 姿をあらわした難波宮(唐長安城の宮室を模倣;内裏の一新;大規模な朝堂院;官衙の創設;京建設のはじまり;難波宮の火災)
第4章 再建された難波宮(再建への道のり;聖武の難波宮造営;後期難波宮の特質;難波宮の終焉)
第5章 現代に生きる難波宮
著者等紹介
積山洋[セキヤマヒロシ]
1953年、大阪府旧枚岡市(現東大阪市)生まれ。大阪市立大学文学部史学地理学科卒業。財団法人大阪市文化財協会調査員、同難波宮調査事務所長、同長原調査事務所長、大阪歴史博物館企画広報課長代理、学芸課長代理をへて、2014年、退職。現在、公益財団法人大阪市博物館協会大阪文化財研究所学芸員。博士(文学)(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
月をみるもの
12
難波宮自体も興味深いんだけど、それ以前につくられた法円坂倉庫と高津宮について知りたいのだが、関連図書が見つけられない。。発掘の報告書をどっかの図書館で探すしかないのだろうか。。2019/05/11
ほっこりね
2
難波宮跡が地元大阪にあるとは聞いたけれど、平城京から平安京・・いつ、どの時代の都なの?という疑問くらいしかありませんでした。この本は、その位置、前期後期難波宮の詳細、さらに古代の難波のことまで、分かりやすく書いてあり、整理できました。発掘したものから、どのように推理して、どれくらい確実となるのかなど、専門的な所も詳しく書かれています。山根徳太郎さんはじめ、学者達の粘り強い大きな努力で、今の難波宮跡が形となり広く認められることになった経緯など、感動でした。2016/07/08
うしうし
2
県立図書館本を借読み。一気に読み進めてしまったため、詳細を理解できているかどうか心配であるが、近難波宮調査の概要がわかる良書。グーグルマップの航空写真等で確認できる大阪市難波宮公園の状況は、前期難波宮と後期難波宮が同一平面で整備されていることを理解した。大阪歴史博物館10階フロアにある山根徳太郎氏胸像は館の来訪者に背を向け、窓から難波宮跡公園を見下ろしているという記述(90頁)が印象的。植木久『難波宮跡』2009年、小笠原好彦『聖武天皇が造った都―難波宮・恭仁宮・紫香楽宮 』2012年も読んでみたい。2015/01/24
Takashi
1
難波宮の調査は、山根徳太郎博士の存在抜きには語れない。と同時に、現在にいたる調査成果を総括しなければ、難波宮の調査研究の最前線がわからない。この両方を平易に解説した書籍。一見しただけではわかりにくい前・後期難波宮の構造が、最新研究をもとに克明に描かれる。2015/06/14
mk
0
難波宮発掘調査に携わってきた著者による、宮内殿舎や官衙遺構の要を得た解説。豊富な図版資料と復元推定図の数々は、二期に分かれる難波宮の発掘遺構を文章以上に雄弁に語ってくれる。上町台地全体に広がる難波の京域が、北部の大阪湾と南部の四天王寺という二つの地域に分離して現代都市大阪へと至るわけだが、戦後の度重なる遺跡保存運動の道のりを述べた終章ではその感慨を深くする。「礎石建ち・瓦葺きの建物は大極殿・朝堂院に代表されるように公的な殿舎」といった考古学的な知見も、文献から空間を見がちな他分野への貴重な教訓。2016/10/30