出版社内容情報
平城宮の北方に広がる丘陵上に、全長200メートルを超える巨大前方後円墳をふくむ古墳群が並んでいる。それは古墳時代前期から中期にかけての100年以上、数世代にわたって継続してつくられた。一つひとつの古墳を探訪しながら、
内容説明
平城宮の北方に広がる佐紀丘陵に、数世代にわたって造営され続けた巨大な前方後円墳が並ぶ。巨大な古墳はすべて陵墓に治定され調査できないが、周辺の古墳を含めて一基ずつ丹念に探訪し、古墳時代前期から中期にかけて力を振ったヤマト政権内の一大勢力を追究する。
目次
第1章 奈良盆地北部の大古墳群
第2章 丘陵西側の古墳を歩く
第3章 丘陵中央の古墳を歩く
第4章 丘陵東側の古墳を歩く
第5章 西の京丘陵の古墳を歩く
第6章 佐紀古墳群の意味
著者等紹介
今尾文昭[イマオフミアキ]
1955年兵庫県生まれ。同志社大学文学部文化史学専攻卒業。博士(文学)。奈良県立橿原考古学研究所調査課長。塩塚古墳、松林苑跡などの調査や特別陳列「佐紀古墳群の埴輪―宮内庁書陵部所蔵品を中心として」(2004年)の企画・展示をおこなう(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Shoji
50
奈良市北部に位置する佐紀盾列古墳群は日本有数の古墳群のひとつである。全長二百メートルを超える大型前方後円墳を多数含み、大小五十基ほどが分布している。畿内の大古墳群である大和・柳本古墳群、馬見古墳群、古市古墳群、百舌鳥古墳群との編年上の対比、出土遺跡などから築造時期を考察している。また、当時、大和平野への北側の出入口に位置する場所であることも織り込み、当時の政治中枢を担っていた大王の墓を含む古墳群との考察をしている。2018/12/23
月をみるもの
14
ウワナベ古墳の北側にあった陪塚(〜大元帥様の先祖の墓)をすべてぶっ壊した日本軍はなんて不敬なのだ! と思ってたら、平城京建設時に当時の天皇家自ら市庭古墳の前方部を跡形もなく破壊していたんだそうな。。江戸期の絵図をみると、ほとんどの古墳で石棺が露出してしまっており、嘉永年間には大盗掘団があらしまくっていた。(最後は奈良奉行をしていた川路聖謨につかまって全員死刑)結局、一番古墳を大事にしたのは日本人ではなく、明治政府のお雇い外国人だったガウランドだったのかもしれぬ。。https://bit.ly/2T18Vl2019/01/19
魚京童!
13
木津川、大和川と山脈の関係、そして、古墳の位置関係について、議論が進まないよね。絶対、情報が隠されてるよね。わざわざ考えないようにしてるよね。絶対ここに何かがあるけど、出せないんだよね。この本もすごい濁した感じになるのは、圧力がかかっているのだろう。かわいそうに。自由なんてこの世にはないんだ。知らない自由しか保証されていない。2024/07/06
うしうし
5
平城京北側に大規模な前方後円墳が連なる古墳群があり、これらは「佐紀盾列古墳群」と呼ばれていると私は理解していた。著者は「巨大前方後円墳が近接して築かれた情景を、古代の盾を並べたようだと形容して佐紀盾列古墳群と呼称した解説がある」が、「「盾烈里」は添下郡佐貴郷の一部におかれた里の名称であり、全体を称するのは不適」とし、古墳群の総称を「佐紀古墳群」とする(p10)。①巨大性・②階層性・③継続性・④集中性(p7)といった特性をもつ、当該古墳群の古墳ひとつひとつを丁寧に概説した入門書。2014/06/01
坂津
3
平城宮の北方に広がる佐紀古墳群について詳説したブックレット。大正時代に盗掘されたため宮内庁治定の陵墓としては珍しく詳細な副葬品の記録が残された佐紀御陵山古墳、平城京造営に伴い前方部が削平されたため近年まで大形円墳と考えられていた市庭古墳、2020年に宮内庁、奈良県、奈良市による共同調査が行われた結果、墳丘が五社神古墳を抜いて古墳群で最長であると判明したウワナベ古墳など、見所が多い。佐紀古墳群の被葬者は、百舌鳥・古市古墳群との比較から「大王」に次ぐ政治的・社会的地位を担った地域首長だとする説が採られている。2020/12/13