内容説明
本州中央に位置する濃尾平野。西日本弥生文化の東端の地に誕生した“朝日集落”は、やがて西と東の弥生文化をつなぐ結節点へと発展していった。環濠や逆茂木(さかもぎ)などの強固な防御施設を築き、生産と交易の拠点となった巨大集落の実像を解き明かす。
目次
第1章 姿をあらわした巨大集落(東海地方最大の弥生集落;発掘調査のあゆみ ほか)
第2章 貝殻山貝塚とその周辺―弥生時代前期(弥生前期の集落;複雑な土器の系譜 ほか)
第3章 弥生時代の都市計画―弥生時代中期(集落の基本計画;強固な防御施設は何を意味する? ほか)
第4章 最後の集落―弥生時代後期から古墳時代前期(後期の環濠集落;多彩な金属器 ほか)
第5章 朝日遺跡の未来
著者等紹介
原田幹[ハラダモトキ]
1969年、愛知県生まれ。金沢大学大学院文学研究科史学専攻修了、文学修士。財団法人愛知県埋蔵文化財センターを経て、現在、愛知県教育委員会文化財保護室主査。金沢大学大学院人間社会環境研究科後期博士課程在学中。専門は石器使用痕研究、東アジアの初期農耕文化(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
1 ~ 1件/全1件
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
月をみるもの
10
COVID-19 で 11月開館が延期になったりしないことを祈る>朝日遺跡ミュージアム https://twitter.com/kotetu2019/status/12082880695577026562020/07/28
やま
10
濃尾平野にある弥生時代の拠点集落。独自の文化を持ち、逆茂木が発掘され倭国大乱や邪馬台国と対立していた狗奴国との関連も取りざされる遺跡です。高速道路の巨大なジャンクションの建設や都市化によって発掘が続けられているそうです。弥生時代の遺跡には珍しく?貝塚を伴っています。昔は清州貝殻山貝塚と呼ばれていたと思ったのですが、いつのまにか朝日遺跡になっていました。織田信長の清州城の近くなのでいつかは行ってみたい所です。2020/06/02
ナオ
0
新しい資料館建設に期待している。2014/03/04