内容説明
大坂本願寺から秀吉・秀頼二代の栄華の舞台であった大坂城。徳川将軍家の別邸として再築された大坂城。戦乱の世から江戸時代の幕開け、そして江戸から明治へという時代の大きな転換点に立ち会い、歴史の流れと運命をともにした大坂城四〇〇年の歴史をたどる。
目次
第1章 天下統一の城(秀吉・秀頼二代の栄華の夢舞台;徳川将軍家の名城として)
第2章 大坂本願寺の時代(大坂御坊から大坂本願寺へ;本願寺の遺構を求めて)
第3章 豊臣秀吉の大坂築城(秀吉、大坂城を手に入れる;天守台・本丸の築造;豊臣大阪城の石垣発見;二之丸の築造)
第4章 日本一の大城郭(惣構堀の構築;秀吉最晩年の大阪普請;大阪築城の経過;大阪城、滅亡への途)
第5章 徳川秀忠の大坂城再築(再築普請の経過;細川家の石垣築造物語;徳川大阪城の威容;大阪城の終焉)
著者等紹介
中村博司[ナカムラヒロシ]
1948年、滋賀県大津市生まれ。滋賀大学教育学部卒業。大阪城天守閣学芸員、大阪市教育委員会主任学芸員、(財)大阪市文化財協会企画調査課長、大阪城天守閣副館長を経て、2000年より大阪城天守閣館長。2007年3月退職。現在、大阪樟蔭女子大学非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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金監禾重
4
石山本願寺から豊臣大坂城、徳川の改築まで。豊臣期も政治状況に合わせて改修増築を続けていたとは知らなかった。例えば惣構えは秀頼誕生以降の大坂城再整備で作られたまさに秀頼を守るための堀であった。徳川治世下の天下普請は諸大名に重荷だったであろうに、細川忠興が「晴れがましい所を任された」とポジティブにとらえているのが面白い。彼は領地の豊前国からはるばる石材を運んでいる。2018/10/12
うしうし
2
最近、大坂城関係の書籍を集中して読んでいたので、この本も復習のために再読。大坂城や金箔瓦研究の先駆的な研究者が2008年に出版した書籍。この段階までの豊臣期大坂城の研究成果が注目され、カラー写真や図版を用いて詳細に記述されている。また、近年の研究として、細川家が沓尾山(福岡県行橋市)から運んだ徳川期大阪城西之丸石垣の研究成果を紹介する。これまでの研究に留まらず、常に新しい視点で検討を行う研究姿勢には頭の下がる想いである。2015/06/08
rbyawa
0
f142、そもそも私、織田信長以前に大坂(江戸以前はこう表記するとか)の地を支配していたのが本願寺、というところから知らなかったんですが、その後豊臣秀吉、徳川幕府、というふうに推移していき、ここで取り上げられた「大坂城」というのも大坂本願寺、豊臣の大阪城、徳川の大坂城、と形を変えてさらに最後の徳川将軍・15代の慶喜が逃げ出したのちに燃えたそうです、なかなか凄まじいなその来歴。現在の徳川期の大阪城が特別史跡なので豊臣期ないし本願寺時代は調査も難しいって、そりゃそうもなるか…だから石垣を調べてたのかもななぁ。2015/06/06
陸
0
図書館。本願寺時代、豊臣時代、徳川時代に大きく分類。豊臣時代のページが多い。大規模な発掘作業が出来ないので、一部の発掘と埋蔵品、資料から大坂城を探る。石垣の石の産地や、どこに使われたか、ちょっとマニアックとか思った。2014/06/24