シリーズ「遺跡を学ぶ」<br> 鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群

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シリーズ「遺跡を学ぶ」
鉄剣銘一一五文字の謎に迫る・埼玉古墳群

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  • サイズ A5判/ページ数 93p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784787705365
  • NDC分類 210.2
  • Cコード C1021

内容説明

世紀の大発見といわれた埼玉県・稲荷山古墳出土の金錯銘鉄剣。銘文に記された「ワカタケル大王」とは、鉄剣の主「ヲワケ」とは、そして被葬者はだれなのか。銘文の内容を埼玉古墳群全体の考古学的検討から明らかにし、古墳を築造した武蔵国造一族の盛衰に迫る。

目次

第1章 鉄剣銘文の発見(サビの中に金色に輝く文字が;銘文一一五文字の解読)
第2章 稲荷山古墳を掘る(墳頂部に未盗掘礫槨を発見;鏡や武具・馬具など多彩な副葬品 ほか)
第3章 埼玉古墳群の出現と変遷(埼玉古墳群の成立基盤;辛亥銘鉄剣の真相 ほか)
第4章 埼玉古墳群造営一族の三重構造(二系統あった武蔵国造一族;畿内大王墓の墳形を採用 ほか)
第5章 埼玉古墳群の終焉(周辺に大型古墳が出現;武蔵国造一族の解体)

著者等紹介

高橋一夫[タカハシカズオ]
1946年生まれ。国学院大学大学院修士課程修了。埼玉県教育委員会で学芸員を振り出しに、文化財行政、埋蔵文化財の調査に携わる。埼玉県立博物館長。博士(歴史学)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

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感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

月をみるもの

17
この鉄剣に刻まれた115文字によって、雄略天皇〜獲加多支鹵大王が神話ではなく、実在した人物であったと考えられるようになった。鉄錆を剥いでいく過程で、文字を発見した人のエピソードも紹介されてるんだけど、もし自分が最初にこの文字を発見したのだったら興奮のあまり血管がきれてただろうな。。。著者は、埼玉は千葉と組んで、群馬+奈良に対抗しようとしてた、、、と言うんだけど、武蔵国奴の乱では埼玉は群馬と組んでヤマトに対抗してたんじゃないの??? https://bit.ly/1SGQtaR   2019/01/12

hyena_no_papa

5
皆さんより適切な感想文が既に出ているので、大要はお任せするとして、やはり素人的に興味の的は乎獲居臣と鉄剣との関係か。p9で3案を併記してあるが、鉄剣は乎獲居臣本人のものと考えたほうが飲み込みやすい。さてその乎獲居臣の出自は?そこが興味津々。p18で示唆される「未発見の主体部」も今後の調査への期待が高まる。やりは発見当初から一番研究の進んだ分野は考古学。今後もその流れで様々な発表があるのだろう。ブックレットながらカラー図版も多く丁寧な編集に好印象。2021/10/16

坂津

2
「獲加多支鹵大王」の名が記された鉄剣銘文についてはあまり取り上げず、鉄剣が出土した稲荷山古墳を含む埼玉古墳群の出現から変遷までを主に解説するブックレット。本書では稲荷山古墳の被葬者が畿内豪族の「乎獲居」から鉄剣を下賜されたとする説を採っている。稲荷山古墳群では数世代に渡って狭い範囲に集中して首長(武蔵国造)一族の墳墓が築かれたという点で他の地域と比較して特異であり、古墳の築かれ方から三つの系列が導き出され、その中でも首長権を継承した系統とできなかった系統の二系統が読み取れるとする指摘は興味深い。2020/11/28

rbyawa

1
e284、今の埼玉と東京はもともと一つの「武蔵国」であって、というのはさすがにそれこそ明治までのことなので知っているんですが、この埼玉古墳群と武蔵府中や国分寺のあった地域に文化的な交流があったという話をまるで聞いたことがなく、武蔵国造に二つの系統がいたのではないか、と言われると納得。墓の形でもはっきり別れるという話はちょっと面白いな。むしろ古墳の埋葬者に関しての身分や家系を示す記号がまだ解き明かされてないんだろうね。しかし埼玉古墳群、どうもだいぶ格が高いみたいでちょっとびっくり、どこのどなたなんだろうね。2014/10/11

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