内容説明
北海道オホーツク沿岸の五世紀、北の大陸からやって来たオホーツク文化人が独自の文化を花開かせていた。その後、九世紀にこつ然と消えたこの北辺の海の民の暮らしを、その中心的な遺跡「モヨロ貝塚」から明らかにし、古代のオホーツク海をめぐる文化交流を描く。
目次
第1章 モヨロ発見の物語(オホーツクの海辺;モヨロ貝塚の発見;バリカンと考古学 ほか)
第2章 モヨロ貝塚の発掘(北端の遺跡をねらえ;モヨロを掘る;モヨロ人はどこから ほか)
第3章 オホーツク文化の解明(海洋狩猟民の文化を追う;オホーツク文化研究の深まり;オホーツク文化のなかのモヨロ貝塚)
第4章 モヨロ貝塚の現状とこれから
著者等紹介
米村衛[ヨネムラマモル]
1956年生まれ。明治大学大学院文学研究科修士課程修了。網走市立郷土博物館学芸員となり、オホーツク沿岸域の埋蔵文化財調査に携わる
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
榊原 香織
77
モヨロ貝塚、網走、5~9世紀、オホーツク文化。 床屋さんが発見したので有名。 考古学は在野で活躍してる人が多いですね。それだけで食べるの難しいのもあるのかな。手に職持って、趣味で打ち込む、というパターン。シュリーマンも。 お孫さんは考古学者になって、この本を書いてます。2021/05/24
ステビア
20
モヨロ遺跡だけでなく、オホーツク文化の簡易な紹介になっている。おすすめ2023/05/17
月をみるもの
15
まず表紙の牙製女性像に心を奪われる。北海道の縄文と擦文の間に、千島列島から樺太をつなぐ弧状の地域で栄えたオホーツク文化。大陸と深いつながりを持つ、この文化の担い手は、(擦文文化のもとにあったアイヌとは別の)日本書紀に出てくる粛慎だったのだろうか。。 https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%B2%9B%E6%85%8E_(%E6%97%A5%E6%9C%AC)2020/06/06
mahiro
6
夏の始め見学したモヨロ貝塚館で購入。オホーツク沿岸地方としては比較的冬も暖かく豊かな海の幸に恵まれた網走の河口の小さな丘に、続縄文期の終わりに住み着いて栄え、やがて擦文文化に同化して行くオホーツク文化の民の生活を発掘した遺跡から考察する。モヨロ貝塚を発見した米村喜男衛氏の献身的活動が印象に残る。又網走に行って見逃した他の郷土館も見たくなった。く2015/09/17
rbyawa
1
h010、遺跡を学ぶのシリーズの1冊目、あまり古代史には興味がなかったので手を付けていなかったのですが、最近ちょっとまとめて見るようになって来たので読んでみまして、これ、要するに日本の考古学の曙みたいな出来事って捉えるのが自然なのかなぁ。アイヌ文化に憧れた若者が北海道の地を踏み、そこで地元住人にのみ知られた遺跡を発掘し、それを公開することによって少しずつ叩き台として学問そのものが熟していくような展開がとても面白い。民族名を結果的に間違っていた教授だって、結局それがあるから本来の血統に近づけたわけだしなぁ。2017/01/20