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出版社内容情報
性の装置としてのポルノグラフィと美の表象としてのヌード・アート。女性の身体を引き裂く2つのまなざしに潜む文化的再生産の過程を、ファイン・アート、写真、美術批評などの分析をとおして、フェミニズムの立場から解析したアート論。
序
1 女性ヌードを理論化する
(1)女性の身体を枠づける
(2)裸とヌードをめぐる言説
(3)理想的芸術の研究
(4)美学と女性ヌード
(5)猥褻と崇高
2 線を引き直す
(1)「傷つけられたヴィーナス」
(2)伝統という枠組み(フレームワーク)
(3)人体を描く実習
(4)美術批評と性的隠喩
(5)境界を破り開く
(6)線を引き直す
3 文化的差別化(ディスタンクシオン)
(1)聖なる国境
(2)純粋な快と動機づけられた快
(3)境界の管制
(4)女性の身体の展示
(5)エロティック・アート――欲望の枠(フレーム)
原注
図版出典
参考文献
補論――〈女〉に憑かれたモダニズム――藤井雅実
訳者あとがき
人名索引
内容説明
性の装置としてのポルノグラフィと、美の表象としてのヌード・アート。女性の身体を引き裂く二つの眼差しに潜む文化的再生産の過程を、フェミニズム・アートの立場から解析する。
目次
第1章 女性ヌードを理論化する(女性の身体を枠づける;裸とヌードをめぐる言説;理想的芸術の研究 ほか)
第2章 線を引き直す(「傷つけられたヴィーナス」;伝統という枠組み;人体を描く実習 ほか)
第3章 文化的差別化(聖なる国境;純粋な快と動機づけられた快;境界の管制 ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
kenitirokikuti
9
図書館にて。原題は『ザ・フィメール・ヌード アート、オブシーニティ(猥褻)、セクシュアリティ』(1992)。第1章はケネス・クラーク『ザ・ヌード』批判。第2章は19世紀に美術学生が女性モデルを描くようになった変化を示す。第3章は猥褻の法制史▲かつて医学・美術解剖の検体やヌードモデルも男性だったのだが、美術学生は女性ヌードモデルを描くようになった。現代のポルノ作品には多少医学的・解剖学的な面はあるものの、空想が勝る。特にエロ漫画は▲ハイアートにてヌードを語るのは、1992年の著作だからだろうな、という感想。2020/02/29
王子
9
緻密な理論に基づいたフェミニズム批評。西洋哲学によって物質として周縁化されてきた女性ヌードを、精神の主体化にとって危険に満ちた境界的な存在と捉え、その再定義を試みている。その姿勢はかなりストイックであり、たとえばリサ・ライオンの身体でさえ、既存の女性性を父権制的イメージに回収されうる別の女性性に交換したにすぎないとして批判している。フェミニズム批評はなかなか手厳しい。2017/09/25
みかん
2
こんなに哲学の方法論をポルノグラフィにちゃんと持ち込んでいる本初めて見てびっくり2016/03/15
むみ
0
先行研究 2023/11/30
いまにえる
0
「ヌード」の意味を文化的、社会的に問い直した本。難しかったが、基本的な美学やフェミニズムの考えは分かった気がする。男性−女性の見る-見られる関係にヌードは屹立する。しかし、「見られすぎる」とそれは猥褻という悪に堕する。それを逆利用した女性側の新しい藝術表象があるというのは示唆的である。女性は対象だが男性は対象になりにくいというのは、藝術というフィールドにもジェンダー的権力関係が生きていることを意味する。それは本当の藝術足りうるか、美学の要件として成立するのか問うているような気もする。2018/04/04