内容説明
高度経済成長期、「理想」や「夢」と結び付いて人々の「憧れ」とともに注目を集めたニュータウン。50年を経て、現在は少子・高齢化や施設の老朽化の波が押し寄せている。日本最大規模の多摩ニュータウンを中心にその軌跡をたどり、地域社会の変貌を描き出す。
目次
第1章 病理と郊外―社会の「鏡」としてのニュータウン(なぜ、いまニュータウンか;ニュータウンの「病理」 ほか)
第2章 開発と葛藤―多摩ニュータウンの成立と地域社会(多摩ニュータウン計画の成立過程;開発をめぐる地域社会の葛藤 ほか)
第3章 実験と抵抗―多摩ニュータウンという「実験都市」(陸の孤島と実験都市;都市計画の実験 ほか)
第4章 移動と定住―ニュータウンの住環境(「住宅双六」と居住地移動;“住みやすい”のに“住みにくい” ほか)
第5章 断絶と継承―歴史をつなぐ語りの実践(開発前/開発後の感覚的な断絶;挫折の語り/武勇伝の語り ほか)
著者等紹介
金子淳[カネコアツシ]
1970年、東京都生まれ。東京学芸大学大学院教育学研究科修了。多摩市文化振興財団(パルテノン多摩)学芸員、静岡大学准教授を経て桜美林大学准教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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浅香山三郎
22
多摩市のパルテノン多摩の学芸員だつた著者による、歴史としての多摩ニュータウン。有り得たかもしれない農業の取り組みを潰して、ニュータウン建設が強行されたことの指摘や、「開発秘話」のやうな武勇伝に偏向せずに、挫折の語りへの注視が必要だと説く点など、示唆に富む。日本のほとんどのニュータウンが半世紀を数へつつあるのに、まだ歴史の対象として捉へられて居ないか、語りが紋切り型で多様な語りが阻害(疎外)されてゐるなかで、本書のやうな仕事は極めて大事だと思ふ。2018/05/25
Nさん
7
私たちはニュータウンをどこまで知っているだろうか?ニュータウンは何もない場所に突然できた訳ではない。多摩の広大な土地には、農業を営む人々の生活があった。そして、不便な「陸の孤島」で暮らし始めた新住民が、どの様な工夫を凝らしてきたのかなど、「実験都市」としてのニュータウンの変遷は非常に興味深い。著者は「無機質で歴史のない土地」と思われがちのニュータウンを、単なる開発側だけの歴史ではなく、多摩という地域「場所性」の連続として捉え直す。それは同時に、語られなかった話、土地を奪われた人たちの声を聞くことでもある。2019/08/28
ああああ
6
「多摩ニュータウンには歴史がない(と思われている)」という認識から出発した先の取り組みに共通していたのは、いずれも現在のアイデンティティ獲得のために開発前の歴史=古層が呼び起こされ、動員されていたことだった。しかもその古層は、「場所の連続性」を強く意識させるものでもあった。228 よそから持ってきた「代替物」を引用することで「歴史の不在」を補い、逆に、その引用したキッチュな文化のなかで戯れるという感性も、バブル期を経てもはやありきたりのものとして多摩ニュータウンの風景に溶け込んでいる。2024/07/01
さまい
6
タイトルからニュータウン全般についての本と思い読んだが、実際には”多摩ニュータウン”の本だった。東京には疎いので多摩ニュータウンの空気感・地理感が分からずあまりのめりこめなかった。開発側の武勇伝のような語りだけが広まりがちだが、開発反対側の挫折の語りに注目することは確かに必要なことだと思う。2021/06/25
kesu
4
ニュータウンの完成形しか知らない私にとってみれば様々な思惑が交錯するなかで一つの生活空間が形成されていることを想起させる一冊。これからは大規模なニュータウン開発なくなるだろうが、先人たちの営みを忘れてはいけないと感じた。