内容説明
このくらいは「普通」のことだ―。「普通」や「常識」が規範として機能し、生活の最低限のモチベーションになっていた時代はもはや遠い過去になった。「当たり前に生きていてはダメだ」「独自であれ」「自分らしさをもつために絶えず努力しろ」などの言説の渦のなかでせきたてられるように社会制度から抜け出した途端、社会に戻ることが許されず排除される時代を私たちは生きている。独自性の獲得や社会的成功を生きる指標にするがゆえに、困難に見舞われ、むなしさを感じ、苦悩する人々の現状を、大学生の率直なコメントや若者文化、「私」語りなどの身近な事例を導きの糸にして描き出す。そして、「普通」「常識」をシニカルでニヒルな姿勢からではなく真正面からしっかりと見据えて、希望に満ちた明るい「普通」さの可能性を探る。
目次
第1章 「普通」幻想のゆくえ
第2章 私秘化する感動体験
第3章 若者文化の宴の後に
第4章 「私」の専制
第5章 集合的アイデンティティの現在
第6章 信頼社会の回復に向けて
著者等紹介
山田真茂留[ヤマダマモル]
1962年生まれ。早稲田大学文学学術院教授。専攻は組織社会学、集合的アイデンティティ研究(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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きいち
5
それまでの普通がなくなり、一人一人が自らの規範をつくらなくてはいけなくなって、私がどんどん特別なものになっていく。そんな人々が作った「集団」どうしには、合意を形成するしくみがない…そんな今の我々の置かれた課題を浮き彫りにしてくれる。この課題を超克する、希望としての新たな「普通」をいかに作っていくのか、それが我々に突き付けられている問いだ。2012/03/02
Myrmidon
1
常識の復権が大事、という主張は分からなくもないが、非論理的な感覚論が散見される。新しい普遍的な原理を提案するのではなく<普通>の人の<常識>に立脚しようとの立場なので感覚的なのは必然であり、そんなに偏った意見も少ないのだが、原理なしだと結局は「私はこう思う。これが常識だ」的なオヤジの繰り言になってしまう。それは常識を共有しない人には説得力ゼロですよ。個人的な体験に基づいた印象論が多いのも×。2012/11/30
cipher
0
たまにいいことが書いてあるのですが、如何せん知見が狭すぎやしませんかね。著者にとっての世界は学校とその周辺にしかないのかしら。真新しさがありません。根拠についても、感情について取り扱ったデータはあってもその根拠は著者の意見のみという分析が多かったように思います。こんな事書いちゃうと「三流大学生のくせにあたかも違いがわかった顔をして、自分だけが<特別>だとどうのこうの」とでも分析されるのでしょうかね。結局加齢臭のする精神論でしかないじゃないか(暴論)2015/03/22
t-1484
0
社会学をかじり始めている人にはちょうどいいかも。2010/10/20