目次
第1部 史料論―戦後風俗雑誌研究序論(問題の所在と本書の視角;第一世代雑誌―「奇譚クラブ」「人間探究」「あまとりあ;第二世代雑誌と弾圧―「風俗草紙」以後)
第2部 善良な市民になる(病から遊戯へ―サディズムの近代化・脱病理化;“告白”という営み―セクシュアリティの生活記録運動;吾妻新と沼正三のズボン・スラックス論争;補論1 作家の実名(1)吾妻新(村上信彦)―戦後の民主的平等論者の分身)
第3部 社会に抗する思想(マゾヒズムと戦後のナショナリズム―沼正三「家畜人ヤプー」;補論2 作家の実名(2)沼正三(倉田卓次)―『家畜人ヤプー』騒動解読
家畜の生と人間の身体―土路草一「潰滅の前夜」「魔教圏No.8」
近代性を否定する―古川裕子「囚衣」とマゾヒストの愛)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
tyfk
3
沼正三「家畜人ヤプー」は読んだけど(日本の)SMの歴史をあまり知らないので「奇譚クラブ」あたりを導入に。1950年代、発禁処分などもあるが、読者投稿や交流の手段として雑誌メディアの役割がおおきい。吾妻新(=村上信彦)は知らなかったが、この人の唱えた「近代化されたサディズム」とか時代背景的に興味深い。と同時に8章の古川裕子の「マゾヒストにだって愛することはできる」という反論も。2025/03/12
xxx
1
奇譚クラブから日本のSMの思想史を読み解く。欧米では性科学からサディズムは「本質的に異常な傾向」として猟奇犯罪と結びつけられたが、日本では1950年代から吾妻新を中心にサディズムの脱病理化と「同意あるSM行為(者)」の主体形成が進んだ。 また「家畜人ヤプー」の考察から「男性権威を移譲」された女性による支配が、ホモソーシャル的であり、「権威へのフェチズム」であるという指摘は興味深い(ここでは女性は男性的権威の媒介者でしかない)。「家畜人ヤプー」が敗戦の日本人的トラウマを反映しているのは納得できる。2025/06/14
takao
1
ふむ2024/09/13
たろーたん
0
『家畜人ヤプー』の章が面白かった。マゾヒズム小説として紹介し、次はナショナリズム小説として紹介する。そもそも、マゾヒストには二ついる。鞭を打たれて痛みに興奮するものと、そこに精神的凌辱と屈服を加えるもの。前者は崇高な精神または殉教であり、後者はそれだけでは満足しない訳だ。そして、沼正三は後者である。女性という媒介を通して行われるマゾヒズム行為、沼は終戦後の捕虜時代に女性に鞭打たれ、排泄物を食べさせられることによって「自分の主体がゼロになってしまった恍惚」を味わったらしい。(続)2024/10/13
みんな本や雑誌が大好き!?
0
本書の圧巻はやはり沼正三氏(こと倉田卓次)の『家畜人ヤプー』の解析です。 私がこの沼さんの本の存在を知ったのは、森下小太郎氏の論文『「家畜人ヤプー」の覆面作家は東京高裁・倉田卓次判事--三島由紀夫が舌端した戦後の一大奇書』)「諸君!」1982年11月号)を拝見した時だったと記憶しています。もう40年も前のこと。『家畜人ヤプー』も角川文庫で読んだ記憶があります。今は幻冬舎アウトロー文庫に入っているようです。是非、一度手にしてお読みください。電車の中で読む時は、カバーをつけてお読みください。2024/10/15