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目次
西郷隆盛(遺教;南洲翁遺訓;漢詩)
乃木希典(漢詩;和歌)
著者等紹介
西郷隆盛[サイゴウタカモリ]
文政十年、鹿児島に生れる。薩摩藩士として島津斉彬に仕える間、藤田東湖、橋本左内らの志士と交って討幕運動に従うが、安政の大獄で帰藩すると遠島を命じられ、海上に身を投じるも、死に至らなかった。斉彬の死後、藩政を担った島津久光の意を得られなかったため、再び遠島に処せられるが、赦免されて禁門の変に始まる政局に周旋しては、薩長軍事同盟を成立させて、王政復古への布石を固める。維新後は新政府の中枢にあって、諸施策の推進につとめるなかで、征韓論を唱えたのが容れられず、下野して郷里に私学校を創設、折から相次いだ士族の叛乱に私学校生徒が同じたことから、明治十年に西南戦争を起こし、七ヵ月に及んだ戦闘の果に自刃
乃木希典[ノギマレスケ]
嘉永二年、長州藩士の子として江戸に生れる。藩校明倫館に学んで戊辰戦争に参戦、維新後は近代の兵制の整備に合わせるようにして軍事教育を受け、陸軍の軍人の途を歩む。西南戦争では連隊旗を敵方に奪われたことで自決に及ぼうとしたのが心の傷痕となるまま、ドイツ留学を間に挟んだ日清戦争に際しては台湾へ進軍し、その後台湾総督に就いた。大将、第三軍司令官として臨んだ日露戦争において指揮をとった旅順攻略は、降ったロシア軍司令官ステッセルとの水師営での会見とともに、巷間に語り継がれること久しく、後年は学習院長に任じ、また伯爵を授けられる栄誉に浴したが、明治天皇が崩御した明治四十五年、その大葬の当日に夫人と自刃した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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