内容説明
奥浩平、1943年生まれ。1963年横浜市立大学に入学後、マルクス主義学生同盟中核派に加盟。1965年2月、椎名外相訪韓阻止羽田闘争で、機動隊の警棒で鼻を負傷。退院の10日目、21歳と6カ月の熾烈な短い生を自ら断つ。遺書はなかったが、生前に書き記したノートと書簡をもとに、兄・奥紳平氏によって、『青春の墓標―ある学生活動家の愛と死』が刊行された。この本は当時の若者たちに感動的な反響を呼び、つかこうへい、高野悦子、穂坂久仁雄、高木茂、中野翠、滝沢克己らさまざまな人によって論じられた。語り継がれる永遠の「青春の記録」である。
目次
第1部 『青春の墓標』ある学生活動家の愛と死・奥浩平著(文藝春秋一九六五年刊)(高校時代;浪人時代;大学時代(マルチ学同加盟;七・二事件;原潜寄港反対闘争;終節))
第2部 奥浩平を読む(同時代人座談会「奥浩平の今」;幻想の奥浩平;『青春の墓標』をめぐるアンソロジー)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ナリボー
4
8/10 学生運動の活動家の手記や手紙をまとめた一冊。21歳で自ら命を絶つまで、苛烈に生き抜いた様やがよく伝わり衝撃を受けた。2024/01/14
hart
2
1965年3月6日、新左翼「中核派」に所属する青年が自ら命を絶った。横浜市立大学文理学部二年奥浩平である。本書は奥が生前に記していたノートや手紙をまとめた遺稿集。高野悦子に大きな影響を与えた。 1943年生まれの奥は、国会デモで亡くなった樺美智子に衝撃を受け、都立青山高校在学時安保デモに参加した。1963年4月、横浜市立大学文理学部に入学。同年7月中核派に加盟し、原潜寄港阻止闘争や日韓会談反対闘争などに参加する。 2022/10/24