内容説明
初版からドイツ語第二版、フランス語版、マルクスが没した直後のエンゲルスの手によるドイツ語第三版、1890年のエンゲルス編集第1巻=現行版の冒頭商品論を、文字通り舐めるように原文を比較検討しながら読み進め、繰り返し考察を加えた。
目次
第1部(『資本論』冒頭商品論理解の鍵としての商品語;人間語の世界に対する限りでの商品語の“場”)
第2部(人間語による分析世界としての『資本論』第二版第1章第1節および初版・フランス語版当該部分の比較対照による解読;商品語の“場”―価値形態;なぜ、第二版は初版本文の形態4を捨て貨幣形態を形態4としたのか;価値形態論と交換過程論との関係について;“富‐価値‐商品”への根源的批判)
第3部(今日の資本主義を批判するために;『資本論』冒頭商品論に関するさまざまな所説について)
『資本論』初版(ドイツ語)、同第二版(ドイツ語)、同フランス語版各冒頭商品論出だし部分の対照表と各邦訳
著者等紹介
井上康[イノウエヤスシ]
1948年生。京都大学工学部・教育学部卒、同大学院教育学研究科博士後期課程退学。予備校講師など
崎山政毅[サキヤママサキ]
1961年生。京都大学理学部卒、同大学院農学研究科後期博士課程退学。立命館大学教員(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ケントウシ
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第Ⅸ章の先行研究批判だけ飛ばして読了。商品語とマルクスの〈富―価値―商品〉への根源的批判というモチーフを中心に据えて資本論の冒頭商品論を分析している。貨幣存在としての商品はぺちゃくちゃと商品語(驚愕すべきことに労働生産物に先立つ商品語の〈場〉は非-可算性をもつ)を喋り、自分の〈体〉(使用価値)を忘却してゆく。商品語は〈口寄せ〉として日常語に投げ返され、〈体〉の忘却は架空資本へと結実する。著者が希望を賭ける類的存在としての人間は、その具体的形態を如何に獲得するのか。それは問いとして残されている。2025/03/15