内容説明
2004年夏、アテネの空は青く澄みわたっていた。スポーツマンなら誰もがあこがれるオリンピックの舞台に「これが最後」と挑んでいった娘たちがいた。「ひまわり娘」と呼ばれたバスケットプレーヤー、濱口(マック)、大山(エース)、楠田(サン)の三人だ。過酷ともいえるトレーニングからつかんだ栄光。その陰にはそれぞれの苦悩と葛藤があった。その三人が新たな出発を機に、いまだからいえる本音と思い出を吐露。
目次
濱口典子 「すべてを放したときに」(緊急家族会議の議題;姉のうしろをいつも;鶴鳴女子高校時代の三年間 ほか)
大山妙子 「エース」と呼ばれ続けて(始まりは一本の怪電話;先生、喜びすぎじゃない?;コートの迷い子、エース ほか)
楠田香穂里 これからは「家族の太陽」に(アジャコングさんと私の関係;旦那は男版“勝利の女神”;共石一年目 ほか)
著者等紹介
楠田香穂里[クスダカオリ]
旧姓・川上。1974年5月29日、宮崎生まれ。165cm。唐瀬原中学校→小林高校→’93年日鉱共石(ジャパンエナジー、現・JOMO)。類い希な速さを武器に、チームの速攻を牽引。またキレのよいカットインや正確なジャンプシュートなどでゴールを陥れた。アシスト王1回、ベスト5:3回、レギュラーシーズンMVP・1回。’02年5月に結婚し、WJBL初のミセスプレイヤーに
大山妙子[オオヤマタエコ]
1974年6月18日、東京生まれ。173cm。中野第三中学校→東亜学園高校→’93年日鉱共石(ジャパンエナジー、現・JOMO)。全国中学校大会に優勝、高校時代は東亜学園高校でインターハイ準優勝。入社したその年に新人王を獲得。その後ベスト5:6回、ファイナルMVP:1回。ディフェンス、リバウンド、ゲームコントロールなどコート上で大きな存在感を示した。アテネオリンピック後、現役を退き、JOMOのクリニックに参加し、バスケットボールの普及・発展につとめている
濱口典子[ハマグチノリコ]
1974年1月15日、長崎生まれ。183cm。深堀小学校→深堀中学校→鶴鳴女子高校(現・長崎女子高校)→’92年共同石油(ジャパンエナジー、現・JOMO)。’05年アイシン・エィ・ダブリュ。’95年から9年連続でベスト5に選出される。得点王2回。レギュラーシーズンMVP:3回。プレイオフMVP:2回。183cmの長身と、そこから繰り出されるフックシュートを武器に、ジャパンエナジー、全日本のゴール下で奮闘。文字通り大黒柱としてアトランタオリンピック以降の女子バスケットボール界を支えてきた。’04年オリンピック後に一度引退したが、’05年シーズン、WIリーグのアイシン・エィ・ダブリュに復帰した(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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