目次
巻頭言 詩をもつこと(今村純子)
インタビュー 辻井喬―詩と哲学を結ぶために(ききて・今村純子)
対話 今福龍太・港千尋―戦間期―シモーヌ・ヴェイユ、愛、恩寵(ききて・今村純子)
シンポジウム 最首悟・川本隆史・生田武志・今村純子―シモーヌ・ヴェイユと“いま、ここ”―「人格と聖なるもの」をめぐって
論考(生田武志―拒食するシモーヌ・ヴェイユ―その食生活の一断面;河津聖恵―何よりもまず、詩人でありたい―詩人としてのシモーヌ・ヴェイユ ほか)
特別掲載(河野信子・十川治江―電子とマリア(抄)(ききて・田辺澄江)
翻訳(シモーヌ・ヴェイユ詩選(岩村美保子・今村純子訳)
必然性/海/星々/扉/プロメテウス ほか))
著作解題(シモーヌ・ヴェイユ主要著作解題;『神を待ちのぞむ』(佐藤恵) ほか)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
いやしの本棚
15
いろんな角度からヴェイユについて、「詩をもつこと」について考察されている。労働者にとって「詩をもつこと」って?と、自分にひきよせながら読んだ。もともと何の予備知識もなくヴェイユを読みはじめ『重力と恩寵』を詩のように感じていたので、今村純子氏の言う「詩」「美」については共感するところが大きかった。またヴェイユの女性性については、『カイエ』を中心にテクストをじっくり読みつつ考えていきたいと思う。2018/01/23
兎乃
7
人は美に面したとき、それを眺め、それ自身の内なる必然性を愛する。そして必然性を愛するということは、対象への自己の支配力を否定することである。自己を拡張しようという欲求は対象を食べてみずからの内に取り込もうとするが、美は距離を置いて見つめる対象でしかない。それを変化させたり所有することは汚すことである。美の前で人は飢えながらも隔たりをもってそれを見つめ、そのままで存在してほしいと願う。2012/04/08
月
4
シモーヌ・ヴェイユを読むなかで、記憶に残る貴重な一冊だった。以下一部引用、ヴェイユの形而上学イマージュにおいて、墜落する大地は反転し、空にならなければならない。空の高みへと落ちること、ここに、垂直軸のイマージュが生気づく様を目撃することができる(奥村大介氏)。『創造は重力の下降運動、恩寵の上昇運動、二乗された恩寵の下降運動から成り立っている』(カイエ)2021/01/17
ドミニク
4
★★★★★ シモーヌ・ヴェイユはごく僅かな数の詩しか残していない。にも関わらず、その魂は常に詩心に満たされていたと言える。この本には数編の詩が掲載されているが(詩自体はページ数では確か10ページ程度であり、それ以外は様々な人による論考、インタヴュー、対談など)、そのどれもが素晴らしく、読み手の心を奪い、その世界認識を通じて広大な場所へと誘ってくれる(訳も小海永二版より優れていると思う)。編者の方の深い思い入れも全編にわたって感じられる。初めて読んだ時の震え、そして窓の外の夜の景色が忘れられない。2014/03/14
kuma
1
「不幸はこっけいなものである」 この言葉に出会って以来、毎日のように反芻しています。こっけいからユーモアへ。 アクロバティックとすらいわれるシモーヌ・ヴェイユの思想が、彼女に惹かれた人たちの多様な解釈によって、たしかに日常へと息づいてきます。本書におさめられている数編の詩もたいへん素晴らしいです。高野悦子が自殺の直前に残した、静謐な一編の詩にどこか連なるようなおそろしさ、うつくしさを感じます。2015/10/05