内容説明
現代詩上稀に見る“詩を書く以外の何物でもなかった”、“童心”のように見えて、実は邪気と無邪気を徹底して突きつめた、“死ぬまで詩を書くことを止めなかった”尾形亀之助とは誰か。
目次
色ガラスの街
雨になる朝
障子のある家
拾遺詩(初期(1919‐1924)
中期(1926‐1928)
後期(1929‐1942))
評論(映画評・詩集評・詩評/雑感・エッセイ)―1922‐1939
物語(夢譚・無声映画シナリオ・戯曲・小品)―1926‐1930
短歌、俳句
補遺、資料、年譜
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
王天上
4
これは古びようのない詩だなあ。どんな時代になっても新鮮に受け取られると思います。散文が読めたのが収穫だった。詩人にはどんどん散文を書いてほしいです。2013/05/11
0
尾形亀之助は村山知義がいた伝説的な前衛雑誌『MAVO』の初期メンバーとして在籍していたことは余り知られていない。日本の前衛(詩)運動との関わりで言えば、例えば、初期の作品の極度に言葉を切り詰めたような詩は、大連で刊行されていた『亜』(彼自身も参加していたが)の「短詩運動」の影響下にあることは論を持たないだろう。後期の『障子のある家』における「散文詩」の試みが、安西冬衛や北川冬彦といった詩人が「短詩運動」から「新散文詩運動」に発展解消してゆく過程に並行しているのは興味深い。2019/03/28
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