感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
くまさん
27
言葉そのものに、言葉への態度に撃たれるということがある。「いっぽんのその麦を すべて過酷な日のための その証しとしなさい 植物であるまえに 炎であったから…そうしてなによりも 収穫であるまえに 祈りであったから」(「麦」)。「月がはるかに 傾くのは 月の きみへの釈明ではない 月は明快に上昇を拒む いわれなき註解となって きみは そこへ佇(た)つな」(「月が沈む」)。人が詩を求めるのは、言葉への信頼を失い、言葉を無化する現実を前にしたときではないか。魂の込められた言葉たちに心を共振させながら初夏を生きる。2021/06/02
Yusuke Oga
25
シンプルだが、読むほうにとってはある意味で掴み難い「厳しさ」みたいなものが石原吉郎の詩にはある。微妙な定義をいくつもいくつも重ねて、彼の中で繰り返し繰返し納得して決めていかなければ先に進められない、生きていくことができない問題に自分なりの決着をつけていくかのような作業の、不安と、孤独とに、揺さぶられる。重いけれど、どれも見過ごさないわけにはいかない切実な問題だ。しかしそれは世の中に対して「こうしてくれ、筋を通せ」というような叫びとは正反対の質のもので、巨大な虚空に向かって訴えているような姿勢が勇ましい。2014/07/27
かふ
22
古本屋のワゴンで100円で手に入れたのだが、衝撃を受けている。それを言葉にすることができるのだろうか?すこしづつ整理していく。 ある人のツイートで『シベリア抑留とは何だったのか』が紹介されて興味を持つ。 「サンチョ・パンサの帰郷」を読む。総題の「サンチョ・パンサの帰郷」ということから、詩人はサンチョ・パンサを模している。ドン・キホーテは、日本軍?うすらわらいさえしているのは、事実を突きつける者だろう。以下、https://note.com/aoyadokari/n/n09108fb26d512022/08/22
misui
11
シベリア抑留の経験が前提にあるとはいえ、石原吉郎の詩は常に詩を書く現在にある。傷を受けた生が詩によってその後の生を証しする、ただその一点に賭けられていて、言葉は息苦しいまでに研ぎ澄まされる。生きることを、そしてそのための詩を求める時、張り詰めた言葉の空間に浮かび上がってくるのは存在そのものの姿だ。この詩が読まれる限り、詩人は何度でも我々の中に帰還する。2014/07/03
けいこう
6
「〈すなわち最もよき人びとは帰って来なかった〉。〈夜と霧〉の冒頭へフランクルがさし挿んだこの言葉を、かつて、疼くような思いで読んだ。あるいは、こういうこともできるであろう。〈最もよき私自身も帰っては来なかった〉と。」/行わけというのが、ただ行わけしてるのではないという当たり前のことを改めて感じます。2018/02/16
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