内容説明
1970年代、社会主義国チェコスロバキアの小学生になった日本の少女は、あたたかな人たちに愛され、魅力的な絵本のとりこになりました。その後、思いがけずベルリンの壁崩壊や「ビロード革命」の場に居合わせます。時代のうねりを感じながら半世紀、ずっと心のふるさとチェコと関わってきたヤポンカの体験エッセイ集。
目次
1 子ども時代(夜のプラハはオレンジ色;コロビェシカ;チェコの小学校;チェコとドイツ;ミリチーンの森;森のなかの学校 スクレナーシカ;聖ミクラーシュの12月;ミーシャ)
2 留学時代・ドイツ時代(はげ鷹クラブ;プラハの屋根裏生活とペピークの田舎;東から来たアンゲリカ;ベルリン1989;冬のビロード革命)
3 絵本の翻訳につながる道(絵本のなかのふたつの世界;ミレルさんの手;チェコのお兄さんミロニュ;ノヴァーコヴァーさんのスープ;チェコのこどもの本の翻訳家になって)
著者等紹介
木村有子[キムラユウコ]
1962年、東京生まれ。1970年代にプラハの小学校に通う。日本大学芸術学部卒業後、1984年から2年間プラハのカレル大学へ留学。新聞社勤務を経て、1989~94年ドイツのフランクフルト大学、ベルリン自由大学でスラブ語圏の言語を学ぶ(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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マリリン
42
父親の仕事の都合で小学生だった70年代に2年半過ごしたチェコ。心温まる人々との交流。戦争ごっこの悪者はナチスドイツという当時のチェコとドイツの関係。日本語を忘れないため帰国したものの、1980年代再度訪れ、ビロード革命やプラハの春、ベルリンの壁崩壊の時代を過ごしたプラハでの大学生活から伝わる緊張感。チェコ児童文学との出会い。人々との触れ合いや、子供の頃読んだチェコの絵本がきっかけとなり翻訳家になった著者のエッセイからチェコへの想いが伝わってくる。チャペック兄弟の作品は未読かも。ヨゼフの存在は知らなかった。2024/04/30
kawa
32
親の都合で、小学3年生から5年生までチェコ・プラハに暮らし、その縁でチェコの子ども絵本の翻訳家になった著者のかの地での折々を描く。共産党下のチェコ・東ドイツの重ぐるしい様子、西ベルリンから見たベルリンの壁の崩壊、現地の人々との交流や悲しい別離。結構重いテーマもあるのだが、エッセイ風の筆致で筆者と一緒に旅をしている感覚でサクサク読み進めることが出来た。現地の人以上にチェコ語が流暢だった7歳の妹さん、帰国1カ月半でチェコ語をきれいさっぱり忘れてしまったと言う、言語の不思議さも含めて印象的なエピソードだ。2024/04/26
chiaki
29
チェコの児童書の翻訳家、木村有子さんのブログ『チェコのヤポンカ』を時々覗き見していましたが、待ちに待った書籍化でした!温かいチェコの人たちとの関わりの中で過ごした70年代の幼少期。打ってかわって、社会主義国の厳しさを思い知らされた80年代の留学時代…。閉塞感を抱えていた頃、あしながおじさんのように思い労り、気に掛けてくれたペピークの存在に涙しました。日本に帰国した木村さんの支えとなったのがチェコから持ち帰った絵本だったとか。もう少しチェコの児童文学のお話を聞きたかったので、これは第2弾に期待です!2024/01/31
ポテンヒット
13
みんなで協力してやろうという考えは日本ではよくあるけれど、チェコでは集団主義や政治的スローガンを連想させるネガティブなものになる。どれほど抑圧されていたかが分かるエピソード。大人になって生活して実感する社会主義国の息苦しさ。民主化が実現した時の喜びはひとしおだっただろう。一方でミロニュのように世の中の流れに乗れなかった人がいた事も忘れてはならない。読了して心に残るのは、隣人や友人の優しい心遣い。それはノヴァーコヴァーさんのスープのように身も心も温めてくれるものだった。2024/07/07
よしじ乃輔
11
小学3年生からの2年間プラハで過ごし温かく接してくれたチェコを忘れられず再び留学し児童書の翻訳家となった著者のWEB版エッセイの書籍化。社会主義国家だった当時、外国人と密に付き合う事の損得無しに面倒を見てくれた方たちや友達の話し。国を超えて気持ちがこもった関わりが素敵でした。チャペック兄弟の児童文学の翻訳話などの紹介もされていて、読みたい本が増えました。2024/03/06