内容説明
検閲や用紙統制、末期には空襲など、苛烈な太平洋戦争のさなかも、必死に出し続けられた川柳誌「番傘」「きやり」。一九四一年の真珠湾攻撃前夜から四五年の敗戦を経て、四六年初まで、五・七・五に凝縮された思いから、表現せずにいられない人間と緊迫していく世相が浮かび上がる。
目次
第1章 川柳誌も戦っていた―その昭和十六、七年(米英と戦闘状態に入れり;多少の余裕もありました ほか)
第2章 ああ、どこまで続く戦争―その昭和十八年(連戦連勝、で、物価も上昇?;撃ちてし止まむ、の真相は… ほか)
第3章 スイカもメロンも無い夏―その昭和十九年(子供も大人も、みな労働者;造れ送れといわれても… ほか)
第4章 降って来るのは、爆弾ばかり―その昭和二十年(空襲下に川柳を詠み、雑誌を作る;悲惨な戦争、ここに極まる ほか)
著者等紹介
田村義彦[タムラヨシヒコ]
フリーライター、編集者。昭和16年(1941)、北海道釧路市に生まれる。昭和42年(1967)、上智大学文学部新聞学科卒。同年、出版社入社、週刊誌編集。途中退社。夕刊誌編集、編集プロダクションを経て、フリーランスに(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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おおにし
14
川柳が世相を痛烈に風刺しているというイメージがあったので戦時中にどんな川柳が詠まれたのかと興味を持って手に取ってみた。と言っても川柳作家も憲兵にはかなわないので過激な作品はない。ただ、終戦直後から徐々に川柳にも元気が出てきたことはわかった。「嘘ばかり聞いて三年八か月」「戦争は反対だった顔ばかり」「雑巾にして千人にお詫びする」など鬱憤をはらすような作品がどんどん出てきたのが印象的。自由に川柳を詠める今はありがたい。2020/06/13
kg
1
苛烈な太平洋戦争のさなか、出版し続けられた川柳誌「番傘」「きやり」。1941年から46年初頭までに掲載された作品の中から1000句、そこから見えてくる(聞こえてくる)「戦下での日常」……。翼さん体制に従いながらも、しかし、庶民の(兵の)たくましさが描かれています。現代川柳史を学べる一冊でもあります。2018/12/10
硬水
0
過去を知ること、それを恐れてはいけない。過去に思いを馳せること、それを忘れてはいけない。過去から学ぶのはまず、それから。その手段として、川柳という媒体はとてもお手軽。悲しくても辛くても、どこかユーモラスだもの。でもそのユーモラスをたくさん集めたら、やっぱり暗い影が全体を覆っていたりもする。名作映画「この世界の片隅に」を観て色々感じ取れたひとたちに、この本もぜひ読んでもらいたい。2018/12/03