内容説明
「女/母」の身体性から、いまフェミニンの臨床哲学を拓く。マイノリティ諸当事者の問題に対峙し、フェミニズムのポスト構造主義ジェンダー論からクィア理論の問題意識へと踏み込み、新たな倫理的価値軸と主体像を模索する。
目次
1 リベラリズムとパターナリズムのはざまで―性/愛の講義の七日間(ジェンダーを脱ぐ―「性はフェイク」とはいいますが;ためらいのセックスワーク論―理論と感情のせめぎあい ほか)
2 ジェンダー(身体・差異・共感をめぐるポリティクス―理解の方法的エポケーと新たな倫理的主体;自然から浮遊するジェンダー―性差の本質論的還元主義批判のアポリア ほか)
3 身体(性別二元制のあわいを生きること―TG/TSからの、フェミニズムと倫理学への撹乱的・挑発的問い;バックラッシュをクィアする―フェミニズムの内なるフォビアへ)
4 他者(フェミニズムの他者―外部の他者/内部の他者「化」;フェミニンの哲学と「他者を内在化させた女という一人称」―臨床知から、グローバル化する世界への対抗軸を求めて)
著者等紹介
金井淑子[カナイヨシコ]
立正大学文学部哲学科教授。哲学・倫理学専攻(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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saiikitogohu
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「ホモソーシャルな欲望…家父長制社会は男たちの社会的連帯によって成立しており、この結びつきには潜在的にホモエロティックな欲望が入り込んでいる。しかし、家父長制社会では、同性愛的な欲望を隠蔽するために、男性間で女性の交換を行い、なおかつ異性愛者としての主体を形成するために男性同性愛を排除する」「ホモフォビアとは、まさに、ホモソーシャルな関係を維持、再生産するための権力作用であり、その機能に他ならない。河口和也は、ホモセクシャルは実体ではなく、異性愛でないものを外部に押し出す「記号論的ゴミ捨て場」」412019/10/24