蘇我王朝の正体―大王馬子・蝦夷・入鹿を語る

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蘇我王朝の正体―大王馬子・蝦夷・入鹿を語る

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  • サイズ 46判/ページ数 195p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784779126420
  • NDC分類 210.3
  • Cコード C0021

出版社内容情報

明日香=飛鳥の地が蘇我王朝の居城であった!



 見瀬丸山古墳(欽明)、双墓(ならびばか…蝦夷と入鹿)、

天武と持統の檜隈大内陵(八角墳)、馬子の墓(石舞台古墳)が

東西一直線に並ぶ明日香=飛鳥は“天井のない歴史博物館”

とも呼ばれる。

 4世紀後半から5世紀にかけて朝鮮半島から加羅系と百済系の

新旧二つの渡来集団の史実を無視して日本古代国家の成立を

明らかにすることはできない。

 百済の蓋鹵王の弟昆支(応神、倭王武)と弟の余紀(継体)は

大和川と石川の合流点の羽曳野に本拠を置く加羅系の

倭の五王済のもとに婿入りした。

 全長525メートルの大山古墳(伝仁徳陵)に

昆支王の弟余紀(継体天皇)が埋葬され、誉田陵(伝応神陵)に

昆支王(応神、倭王武)が埋葬された。

倭王武の晩年の子欽明は安閑の娘石姫を皇后とし、

昆支王を始祖王とする蘇我系豪族の娘堅塩媛を妃とした

(531年の辛亥のクーデター)。その後、欽明は

后の堅塩媛とともに大和橿原の見瀬丸山古墳に埋葬された……。



 この仮説を否定するには見瀬丸山古墳=畝傍陵墓参考地の

発掘調査しかない!

目次

第1章 百済から渡来した王子昆支
第2章 継体天皇の出自と即位
第3章 欽明天皇=ワカタケル大王
第4章 蘇我氏は大王家だった
第5章 蘇我氏と物部氏の仏教戦争
第6章 蘇我蝦夷は大王だった

著者等紹介

林順治[ハヤシジュンジ]
旧姓福岡。1940年7月11人兄弟の末子として東京世田谷区下馬で生まれる。東京空襲の1年前の1944年、父母の郷里秋田県横手市雄物川町深井(旧平鹿郡福地村深井)に移住。県立横手高校から早稲田大学露文科に進学するも中退。1972年三一書房に入社。取締役編集部長を経て2006年3月退社(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。