出版社内容情報
2020年は、ニグロ・リーグ創立百周年!
「ペイジが2000勝以上したという話は本当ですか?」
少しでも野球を知っている人には、容易に信じてもらえない
話でもあるサチェル・ペイジの偉業を、
ペイジの足跡を常に追い続けてきた著者が、
事実は事実なのだと、万を持して描く
サチェル・ペイジ最新評伝!
誰にも真似できぬ功績を讃え、
MLBで「サチェル・ペイジ・デー」創設を!
【サチェル・ペイジの業績】
ニグロ・リーグ時代には約2500試合に登板し、
2000勝以上をあげ、うち完封勝利は350以上、
ノーヒットノーラン55試合など。
速球王ボブ・フェラーが
「サチェルの投げるボールがファストボールなら、
俺の投げるボールはチェンジ・アップだよ」と発言している。
1930年には、メジャーリーグ選抜との交流戦で
22奪三振完封勝利を記録。
1948年、シーズン途中にクリーブランド・インディアンスに
入団し、42歳の史上最高齢新人投手として
6勝(1敗、防御率2.48)をあげ、リーグ優勝に貢献。
メジャー通算成績は28勝31敗、防御率3.29だが
1952年には46歳で12勝(10敗)を挙げ、
1952年、1953年には連続して
MLBオールスターゲームに出場。
1965年、カンザスシティ・アスレチックスと1試合だけの
契約を結び、メジャー最後の登板を果たした
(先発し3回を投げ無失点で勝敗はつかず)。
この時ペイジの年齢は59歳だった。
現在でも最高齢登板記録なのは事実である。
この時はダグアウトにペイジ専用のロッキンチェアが用意され、
ペイジがマウンドを去ると観客から惜しみない拍手とともに
「私を野球に連れてって」の歌声がこだました。
1971年、ニグロ・リーグ特別委員会選出により
野球殿堂入りを果たした。
内容説明
ペイジはいかに偉大だったか。抜群の身体能力。シーズン中の投板はほとんど連日。1日に2、3試合の登板。ニグロ・リーグ以外の時期には、中南米の国々、カリフォルニアのウィンターリーグで活躍。そうした生活を少なくとも25年も続けた。ペイジは野球を通じて米国が抱える「矛盾」を浮かび上がらせ、「公民権運動」への道筋を示した。それは野球における「2000勝」よりはるかに大きな功績だった。
目次
一九〇六年、アラバマ州モビール
プロフェッショナルの世界へ
ペイジ、ピッツバーグへ
ニグロ・リーグとは
ガス・グリンリーと手を切る
最高の投手として各地へ
放浪するペイジと球界の激動
ペイジに奇跡は起きるか
リーグよりも大きなペイジの存在
主張を通したペイジ
論議を呼んだワールド・シリーズ
大リーグで十二勝のあと
著者等紹介
佐山和夫[サヤマカズオ]
1936年和歌山県生まれ。ノンフィクション作家。慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。会社員、和歌山県立田辺高等学校の英語教師をへて作家に。アメリカ野球学会(SABR)、スポーツ文学会(SLA)に所属。第3回潮ノンフィクション賞、1984年度和歌山県文化奨励賞、2018年度和歌山県文化功労賞、第4回ミズノスポーツライター賞、ジョセフ・アストマン賞、アメリカ野球学会のトウィード・ウエップ賞などを受賞。著書多数(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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kikizo
オールド・ボリシェビク