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内容説明
トランクの底から現れた人たち。ポルトガル文学の巨星・ペソアの時代を透視する鋭い眼と豊かな文学性に富む知られざる短編・本邦初訳。
著者等紹介
ペソア,フェルナンド[ペソア,フェルナンド] [Pessoa,Fernando Ant´onio Nogueira]
20世紀ポルトガルを代表する文学者。1888年リスボンに生まれる。南アフリカ領事の義父にしたがい南アフリカのダーバンに渡り、英語による教育を受けて育つ。帰国後、大学に籍をおくが短期間で中退。商業翻訳で生計をたてつつ、寄稿、誌上論争、雑誌創刊など活発な活動をくりひろげ、ポルトガル前衛芸術運動の中心的存在となるものの、生前その名が一般に広く知られることはなかった。1935年リスボンにて没。死後、トランク一杯の未発表草稿が発見され脚光を浴びる
近藤紀子[コンドウユキコ]
1969年生まれ。早稲田大学第一文学部文学科日本文学専修卒。出版社勤務のかたわらポルトガル文化センターでポルトガル語を学び、その後翻訳家に(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
ケイ
127
短編七つ。シニカルであったり、少し滑稽であったりする話などには、ほらそうだろ?とでも言うような小賢しさを覚えることが多いが、この作者にはそれがない。しかし、『たいしたポルトガル人』の切れ者を素直に賞賛もできず、表題作などは屁理屈の禅問答だろうか、よくもここまでのやり取りをさせたなと思ってしまうのは、心の中に入り込んで触れてくるような感動も伴わないからだ。ペソアという文学者の作品を読むのが初めてだからか、他の方の感想を読むと、私はきちんと味わいきれなかったようにも思う。2019/08/10
nobi
83
ペソアという透明で詩的な響きとヨーロッパの端に位置するポルトガルの作家ということでエキゾチックな香りの作品を想っていたけれど、違った。大時代的な言い回しにもあざとく見えてしまうプロットにも馴染めない。いくつかの気味の悪い成り行きや結末は、読んでしまうと脳裏から去らない困った代物。表題作の「アナーキストの銀行家」は異色。自らの生き方を正当化する理屈をくらくらするほど延々と積み上げる。20世紀前半、専制政治でもブルジョア社会でもなく自由な社会の到来を夢見ていたのであろう当時、それが絵空事だと喝破するかのよう。2020/07/26
燃えつきた棒
28
◯「独創的な晩餐」: ベルリン美食協会の会長プロージット氏が、五人の青年たちとの言い争い(五人の内の一人が考案した料理だか晩餐だかが、会長の作品よりも上だというもの)に決着をつけるべく、会員たちを晩餐会に招待する。 さて、その晩餐会の趣向とは? 割に早く展開が読めてしまったので、特に驚きはなかった。 少し読者にヒントを与えすぎではないか?/ ◯「手紙」:背中に大きなこぶのある障害者マリア・ジョゼから思い人へ宛てた読まれることのない手紙。/ 【あのアントニオ(略)、車の修理工のアントニオが、→2025/03/23
Tenouji
23
あのペアソの短編集。「独創的な晩餐」は好みではないが、「アナーキストの銀行家」には、少々驚く。アンビバレントな個人主義の現代を予言したような内容。あのジョージ・オーウェル著「1984年」にも、つながる話なんではないだろうか…2020/03/13
zirou1984
22
ペソアの小説が邦訳されるのは初ということで期待して読んでみたが、散文詩の世界に留まらない、多面的な顔を持つペソアにまた一歩近づけたと思わせてくれるものであった。詩人としてのペソアが暗闇で一歩一歩の足取りを不確かに進めようとするものならば、本作の短編の多くは軽やかとすら言えるものであり、「独創的な晩餐」は軽妙なダンスで人を食ったかのようだ。表題作については修正稿も残っている通り完成度は決して高くないものの、「私は決して、私自身ではない」というペソアのアイデンティティと合わせて考えると感慨深いものがある。2019/08/22