内容説明
世界史を変えた海戦の真相は、正確に伝わっていなかった…。初めてスペイン側の史料から、戦いの実像を再現する画期的な試み!フェリペ二世、メディナ・シドニア公、パルマ公、メンドサ大使等の書簡を精読のうえ、スペイン内部から(艦隊の)イングランド遠征の流れを組み立て、イギリスの資料も睨みながらスペイン艦隊の動きを追った。
目次
フェリペ二世の崩御
スペイン艦隊総司令官メディナ・シドニア公
イングランド遠征計画
サンタ・クルス侯の死去
メディナ・シドニア公に王室旗の譲渡
コルーニャ出撃―七月二十一日
プリマス沖戦闘―七月三十一日
スペイン艦隊の大砲その他の火器
「ロサリオ」放置事件
ポートランド沖戦闘―八月二日
カレー沖 八月八日
出撃してこなかったパルマ公
グラベリーヌ沖海戦 八月八日
北海からスコットランドへ
フランシスコ・クエジャルの苦難
アイルランド沖難破、消えた五十四隻
スペイン艦隊のその後
メディナ・シドニア公の死
著者等紹介
岩根圀和[イワネクニカズ]
1945年、兵庫県生まれ。神戸市外国語大学修士課程修了。神奈川大学名誉教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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マカロニ マカロン
14
個人の感想です:B+。1588年5月末130隻のスペイン艦隊がリスボンから出航。輸送船など船足が遅い船も多く、途中嵐で1ヶ月間補修補給入港し、最初のプリマス沖での海戦は7月末日。その後何度か海戦を経て英仏海峡に入りカレー沖に停泊。ネザーラントのパルマ公との合流を待つが、パルマ公の船が現われず、英軍からの火船攻撃と海戦を経て10日後に北海を抜けてスペインへの帰還が決断された。この間にスペイン側が失った船は10隻程度で、帰還途中の難破や糧食の欠乏などで54隻、12千人を失い、帰国したのは65隻と13千人だった2024/07/07
洋書好きな読書モンガー
6
エリザベス1世時代の一大出来事スペイン無敵艦隊の英国来襲。読むとスペイン艦隊が滅びるべくして滅びたのがわかる。(1)提督の死により交代した総指揮官が船、海について無知。(2)130隻もの艦隊だが、商船やガレー船も混じっており艦隊行動が取れない。(3)6ヶ月の食料水の不足(補給港や野菜の欠乏による壊血病の知識ゼロ)(4)この時代の大砲の扱いにくさ(5)艦隊行動のための信号手段の未発達。(6)作戦の不味さ。(3)〜(5)は200年後の18世紀になって整う。無謀だった出来事だ。無敵艦隊は勝った英国側の戦果誇張。2024/07/02
pangea74
2
中古本で読了。1588年、イギリスとスペインとの間で起こったアルマダの海戦の様子を、主にスペイン側の資料(フェリペ2世、無敵艦隊の司令官シドニア公、ネーデルラントのパルマ公が書いた書簡)から順に追っていく歴史本。船の種類、搭載武器の数や兵士等の人員構成について細かく記載されており、イギリス軍とスペイン軍のそれぞれの戦い方の違いやイギリス上陸計画の概要がよく分かり、読み応えがありました。情報の伝達に手紙を用いているため、海上で航行中の艦隊とスペイン王との間でタイムラグが生じてしまう苦労がうかがえました。2019/02/28