内容説明
ピンク映画はなぜ生まれたのか―ピンク前史~70年代の「ポルノ」時代到来へ。東映は「ニューポルノ」、日活は「ロマンポルノ」を製作。松竹も子会社を設け、成人映画の製作に乗り出した。いま、往事の勢いはないが平成になっても「ピンク映画」が滅びることはない。
目次
ピンク映画前史
五輪ピンクイヤー・一九六四
国映対大蔵映画
その製作と配給と興行
ピンク映画に挑んだ人々
ピンク映画のあの手この手
拡大する桃色攻勢
六〇年代グラフィティ
銀幕を彩った女優たち
ピンクからポルノへ
東映ピンクの勃興
若松孝二のマイウェイ
商魂一代・向井寛
ポルノからピンクへ
新世紀を超えて
ピンク映画は滅びない
著者等紹介
二階堂卓也[ニカイドウタクヤ]
1947年生まれ。上智大学文学部新聞学科卒業。「週刊少年チャンピオン」「週刊プレイコミック」元編集長。新東宝、時代劇、アクション、ヤクザ映画、香港そして欧米の娯楽映画全般と、B級と評される映画を徹底的に見続け、評論活動を展開(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kenitirokikuti
4
一部映画が「成人向」と指定されるようになったのは、1955年(S30)こどもの日であった。初指定は『「春情鳩の街」より 渡り鳥いつ帰る』と『若夫婦なやまし日記』。公開第1作は『弥太郎笠』。外国映画指定第1作は『悪の塔』、公開は『肉体の怒り』。これらは邦画大手6社の配球網に乗るもの。「ピンク映画」とは独立系成人映画であり、1964年から急増した。映画産業が斜陽になり大手が減産を始めたので、週三本立てを基本としていた地方の映画館が打撃を受けたからだった。ピンク映画はアダルトビデオまで存続したようである。2017/08/20
garth
3
三國連太郎監督のピンク映画『台風』(腐肉の群れ)見たい。2015/03/24
Natsuhiko Shimanouchi
0
筆者が1947年生まれということもあり60年代の話はやたらに詳しいが、四天王や七福神から現在に至るまでは終わりも終りのほうにさらっと触れるだけなので半分期待外れ。ただその無駄に詳しい60年代から70年代にかけては、映画としての時代劇が斜陽化し、テレビ時代劇が人気となる過渡期にこの分野から多くの才能がピンク映画に流れてきたことが分かり、時代劇本読んだばかりだったので色々なるほどと。2014/11/23