内容説明
第3団体を崩壊に追い込んだのは誰なのか?元『国際プロレスアワー』チーフディレクターが記した極秘資料「田中メモ」の封印を解く。
目次
第1章 1974年
第2章 1975年
第3章 1976年
第4章 1977年
第5章 1978年
第6章 1979年
第7章 1980年
第8章 1981年
著者等紹介
流智美[ナガレトモミ]
1957年11月16日、茨城県水戸市出身。一橋大学経済学部在学中、プロレス評論の草分け・田鶴浜弘に弟子入り。80年3月、大学卒業後にベースボール・マガジン社『プロレスアルバム』でフリーのプロレスライターとしてデビュー。以来、『週刊プロレス』に83年7月の創刊号から現在まで連載を持つ他、プロレス関係のビデオ・DVD監修、テレビ解説、ナビゲーター、プロレス漫画原作、トークショー司会などで活躍。著書・翻訳書・監修書、多数。2018年、プロレス界の功労者を顕彰するアメリカの『National Wrestling Hall of Fame』ライター部門にて殿堂入りを果たす(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
鷹ぼん
3
TBS全国中継時代の国際プロレスは、欧州系の外人も多く、馬場全盛の日本プロレスよりも好きだったが、12チャンネルになってからは、大阪でのネットがなくなり、サンテレビでの放映開始までは「未知」の団体となってしまった。たまに全日本との対抗戦などで見ることもできたが、マイナー度合いが半端なかった。その背景に何があったのかを、本書で公開された当時の12チャンネルの田中チーフディレクターの「メモ」が解き明かしてくれる。吉原社長と草津に対する言葉は辛辣で、故に同ディレクターの国プロへの熱い情熱も知ることができる。2019/06/28
アスワンハイダム
2
半分ヨカタ、半分関係者のプロレス評論家が過去に関わりのあった国際プロレスの内幕を微細に綴る。 写真多め、ケーフェイを行ったり来たりの立ち位置の文章で結構面白かった。2022/02/27
Takashi Okawara
1
「実録・国際プロレス」を先に読まれるのがオススメ。視聴率を上げるために共同歩調をとるべきところ、一方的にアイデアを無視され投下した資金を無駄にされたテレビ局の立場から見た国際プロレスの破綻劇。金策に奔走し他団体に喰い物にされ人望のないグレート草津を重用するダメ経営者として吉原社長を最初に位置づけたら、ありとあらゆる国際への言説が身も蓋もなくなってしまう。周囲の動きに翻弄され続けたことへの同情とあまりにも場当たり的な動きへのやきもき感が相半ばするが、小規模な個人事業主として他人事とは思えない。2020/08/11
ロックスターKJ
1
評価:★★★☆☆ 3点 流さんの国際プロレスへの愛とプロレス・ライターとしての力を感じた。2019/09/02
pudonsha
1
「国際プロレスが崩壊に至ったのは、最終的に吉原社長が「背広組」になりきれなかった結果だったように思えて仕方がない」2020/04/03