内容説明
鉄道線用、軌道線用を問わず、岐阜線(美濃電)ゆかりの車輌の変遷を纏めた一冊。
目次
1 岐阜線の歴史(美濃電気軌道株式会社;長良軽便鉄道株式会社 ほか)
2 岐阜線車輌前史(モ1形;モ5形 ほか)
3 北方線・谷汲鉄道の車輌(モ100型(谷汲デロ1形)
モ110形(美濃電セミシ64~66)→モ400形 ほか)
4 ボギー車の登場(モ500形(美濃電BD500形)
モ520形(美濃電BD505形) ほか)
5 敗戦からの復興(モ50形;モ540形)
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
えすてい
7
明治村の京都市電もだが、やはり古い時代の単車は車輪径が大きいからステップが高く乗り降りで大きく足を動かさなければならない。主電動機を路面電車用に小型化できる前の時代だからどうしても床が高くなるのは仕方ない。岐阜も道路の舗装は遅かったのだな。市中心部から一歩外れると舗装されてない道を名鉄が走っていく。長閑さと旧態依然の赤字路線の二面性が感じられてくる。2020/03/30
えすてい
7
やはり表紙の写真(単車39)は、ニセスチールにしてから銀色メタリック塗装のサッシ会社広告電車になったとのこと。木造のままではメタリック塗装は無理か。単車も鉄道線籍(鏡島線)と軌道線籍(市内線・美濃町線)に分かれていたが、厳密な使用の区別はなかった。あくまで書類上の便宜上のものか。単車はその多くが車輪径838mmと「高床車」である。乗降は大変だっただろう。40~50人程度の定員だが、座席定員は10人くらい。図面では5人分ずつのロングシートが並ぶだけであとは立ち席のようだ。小さな車体故の「工夫」か。2020/03/26
えすてい
7
表紙写真の銀色メタリック塗装全面広告の単車、美濃電の単車だから木造車だが、木造車にこのようなメタリック塗装ができたんだね。それとも、名鉄お得意のニセスチールを施した後でメタリック塗装か?岐阜市内線本線の公園前電停、まだ車がそれほど多くなくカーブを曲がってきてから電車に向かう人々が長閑な光景だ。こんな光景は長くは続かなかったが。2020/03/23
えすてい
2
美濃電→名鉄に統合されていく中で残り続けたバラエティ豊富な数多の木造2軸単車。昭和30年代でも岐阜の街並みにマッチしてた。ハンドブレーキなので空気ブレーキもなくニセスチール化もされなかったレトロさが戦後まで生き残り続けたのは大手私鉄でもかなり珍しい方だろう。2017/06/05