内容説明
不安・怒り・執着・嫉妬は手放せる。「自分を大切にする」ことをやめる。生きるか死ぬか以外に大したことなどない。永平寺で20年修行した、霊場・恐山の禅僧が説く“善く生きる”ヒント。
目次
1章 あなたが大切にしている「自分」とは何か(「自分を大切にする」ことをやめる;「生きる意味」は見つけなくてもいい ほか)
2章 「夢」や「希望」という重荷を下ろす(「夢」や「希望」がなくても人は生きていける;夢も、「夢を追う自分」も徹底的に冷たく見る ほか)
3章 感情に振りまわされないために(こじれた人間関係は「愛情」や「努力」では変わらない;感情が揺れてもかまわない ほか)
4章 死に向かって今日を生きる(こぼれてしまった悲しみを癒やしてくれる場所がある;後悔は、抱えたまま生きればいい ほか)
著者等紹介
南直哉[ミナミジキサイ]
1958年、長野県生まれ。禅僧。青森県恐山菩提寺院代(住職代理)、福井県霊泉寺住職。早稲田大学第一文学部卒業後、大手百貨店勤務を経て、1984年に曹洞宗で出家得度。同年から曹洞宗・永平寺で約二〇年の修行生活をおくる(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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徒花
242
タイトルのまま。新書変形サイズでちょっと小ぢんまりしてて読みやすい。あと、おそらくは団塊の世代以上の方々を対象に作られているので、フォントサイズが大きめにしていあるのだろう。お坊さんの本だけど、もともとサラリーマンをしていた方らしく、あまり仏教では云々という抹香くさい話ではない。むしろ、ちょっと理屈っぽいくらいに懇々とわかりやすく生きやすくなる考え方を説いてくれている。ただ、抽象論が多いのでふわっとしている感じはある。2018/06/07
KAKAPO
40
南 直哉さんの著書には『老師と少年』で出会いました。寓話のように優しい言葉で綴られている本でしたが、物語が表そうとしている境地には、簡単に到達することができません。そこは、心が苦しい状態を心身の力で乗り越えてきた人だからこそ描ける世界だからです。私たちの心の苦しみは、自分を愛したい、でも愛せない、自分を守りたい、でも守れない、という葛藤から生まれているのだと思います。誰よりも大切なはずの自分を自分自身で愛し、守ることは、思いのほか難しい、だとしたら、自分の次に大切な人を、愛して守ればよいのかもしれません。2019/06/22
舟江
29
いかに書く事が大切であるかなど、綺麗事ではなく地に足の着いた内容であった。お勧め本。2018/06/05
はるわか
28
現実ではほとんどの人間は夢破れる。でも心配するな。夢が破れても人間は生きていくことができる。その方がもっと大事なことだ。思いどおりにいかなかったとき、夢破れたときに、人は損得から離れ、自分が本当に大事にするものを見極める。そしてそれを見極めた後、自分の努力が報われるかどうかわからなくても歩き始める。そんな人間にはある種の凄みが備わる。「夢」の後ろに隠れた自分の本音を一度徹底的に見てみること。たまたま生まれてきた「自分」。人生を棒に振るくらいの気持ちで生きればちょうどいい、ラクに生きラクに死ぬことができる。2018/09/17
さっちも
26
師のまぁまぁな信者の自分。キツイ時の為に読まずにとっておいた本なのです。期待値をいれずに、クールに世を切り取る視点で、現状の自分を把握することできました。相変わらずの救いのなさに、余計にキッツイ、シビアな気持ちに追い込まれたけど、これが現実です。以下抜粋「自己実現して生きる」といった物語からは、降りてもいいのです、、、、さぞ苦しいだろうから、力を抜いて「たいしたことのない自分」を生きればいいのにと思います。しかし同時に、それが難しいのも良くわかります。人間は力をいれるようにはできていますが、力を抜くのは2018/03/27