出版社内容情報
目次
発刊によせて 金子満広
不屈の人・沢田二郎さん 宮下順子
一 一瀉千里
二 人権闘争
三 気管切開
四 死ぬ前に人間とは何かということを知りたい
五 プロミンで命拾い
六 プロミン獲得闘争 七 虚脱状態に陥る
八 プロミンの反応期
九 あだばなのとき
十 親善交流に参加
十一 出会い
十二 「らい予防法」闘争
十三 「らい予防法」闘争を終えて
十四 不自由者棟へ入居
十五 DDSの反応
十六 日本共産党へ入党
十七 活動に薄れゆく文学
十八 不自由者棟看護職員切り替え
十九 整形手術 あとがき
これは戦後民主主義の暗部を照らしだす壮絶な、そして、たぐいまれな活力を持つ人生の記録である。 戦後、著者は、無菌状態になりながらも、病気の後遺症に苦しみ、手足の無感覚に悩み、眼球摘出手術、鼻の成形手術などの苦痛を受けながら、必死に果 敢に入園者の人権闘争にかかわり、「らい予防法」という時代錯誤の法律と、世の人びとの誤解と差別 と闘った。――加賀乙彦(オビより)
内容説明
戦後、著者は、無菌状態になりながらも、病気の後遺症に苦しみ、手足の無感覚に悩み、眼球摘出手術、鼻の成形手術などの苦痛を受けながら、必至に果敢に入園者の人権闘争にかかわり、「らい予防法」という時代錯誤の法律と、世の人々の誤解と差別と闘った。これは戦後民主主義の暗部を照らしだす壮絶な、そして、たぐいまれな活力を持つ人生の記録である。
目次
一瀉千里
人権闘争
気管切開
死ぬ前に人間とは何かということを知りたい
プロミンで命拾い
プロミン獲得闘争
虚脱状態に陥る
プロミンの反応期
あだばなのとき
親善交流に参加〔ほか〕
著者等紹介
沢田二郎[サワダジロウ]
1924(大正13)年10月群馬県に生まれる。1935(昭和10)年ハンセン病を発病。1936(昭和11)年小学校停学。1937(昭和12)年10月栗生楽泉園に入園。1957(昭和32)年8月日本共産党に入党。1965、66、67、69(昭和40、41、42、44)年栗生楽泉園患者自治会会長を務める。1971(昭和46)年2月栗生楽泉園社会復帰者準備地(旧保育所)で印刷業を開業。5月一般社会人の女性と結婚。1986(昭和61)年4月完全社会復帰直前、妻がくも膜下出血で倒れる。片麻痺と脳障害の後遺症残る。1988(昭和63)年8月社会復帰断念、山梨県身延深敬園へ転園。1989(平成元)年8月駿河療養所へ転所。2002(平成14)年9月現在に至る
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