PD叢書
猫愛

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  • サイズ B6判/ページ数 189p/高さ 19cm
  • 商品コード 9784773633023
  • NDC分類 918.6
  • Cコード C0095

出版社内容情報


猫――豊島与志雄
 猫 性
 猫先生の弁

虎猫平太郎――石田孫太郎
 猫もカイコ業界の一役者
 エジプトでは猫は神様、日本では猫は魔物
 俚諺を一ツ見てやろう
 猫の悪と猫の善(一)
 猫の悪と猫の善(二)
 薄雲の猫と漱石の猫

猫の墓――夏目漱石

猫の事務所――ある小さな官衙に関する幻想――宮沢賢治

ねずみと猫――寺田寅彦

義猫の塚――田中貢太郎

透明猫――海野十三

黒 猫――島木健作

黒 猫――薄田泣菫

あとがき――猫は猫にして猫そのものではない――吉田和明

作家紹介


■作家紹介■

豊島与志雄(1890~1955)
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 小説家、翻訳家。福岡県朝倉郡福田村生まれ。東大仏文科に在学していた大正3年2月、芥川龍之介、菊池寛、久米正雄らと第三次『新思潮』を起こし、その創刊号に処女作「湖水と彼等」を書く。この作により、同人の中では最も早く文壇から注目されることになる。大正6年6月に新潮社より第一創作集『生あらば』を出し、文壇にデビュー。以降、次々に作品を発表し、大正文壇に地位を築いた。豊島の作品は、反自然主義的、反私小説的なものが多い。自然主義的、私小説的方法が全盛であった大正文壇の中では、いささか特異な存在としてあった。昭和7年、明治大学文芸科の教授に就任。戦後は、日本ペン・クラブの再建に人力を尽くした。豊島は晩年の太宰治に慕われていた。昭和23年6月に太宰が山崎富栄とともに玉川上水で心中した亡くなった際には、太宰の葬儀における葬儀委員長を務めている。また、二人のために比翼塚を造ることを提案したりもしている。著書に『野ざらし』『白い朝』、評論・随筆集『書かれざる作品』などがある。訳書にユゴーの『レ・ミゼラブル』、ロマン・ロランの『ジャン・クリストフ』などがある。

 本書収載の「猫」は、大正13年11月『新小説』に発表されたのが初出。「猫性」は、昭和9年9月『文芸』に発表されたのが初出。「猫先生の弁」は昭和26年『文学以前』に収められた。


石田孫太郎(1874~1936)
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 養蚕技術指導者。福井県遠敷郡遠敷村生まれ。群馬県藤岡の高山社で養蚕改良の勉強をし、後、明治28年からは農商務省農務局西ヶ原蚕業試験場(現・農工大)に勉強した。卒業後、養蚕技術指導者として、各地に赴いていたらしい。明治38年の春から猫を、「様々なる調査を為さんが為」に飼い始めたという。「評価の高い 三毛猫の牡」という文章には、この頃、「三毛に牡猫なく、虎毛に牝猫なき事実に疑問と興味を持ち」、300匹ほどを調べたことが書かれている。若いときに父母に死別し、たった一人の妹も養女に出された。そして、明治34年に結婚し一男一女をもうけるも、長女は15歳で亡くなり、長男は渡仏したまま。妻ともやがて別れてしまったという。孤独な人であったようだ。著書に『日本養蚕豊作全書夏秋蚕飼育法』『猫』『嫉妬論』などがある。

 本書収載の「虎猫平太郎」は、昭和11年に『蚕糸界報』第45巻第527号~536号に連載されたが、石田の死(12月4日)により未完に終わった作品である。


夏目漱石(1867~1916)
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 小説家。江戸牛込馬場下横町(現・新宿区牛込喜久井町)生まれ。生まれてまもなく、四谷の古道具屋に里子に出され、2歳の時には四谷大宗寺裏の門前名主・塩原昌之助の所に養子に出された。大学予備門(後の第1高等学校)を経て、明治21年9月には本科一部に進み、英文科を専攻。正岡子規と同級となり、親交を結ぶ。明治23年9月、東京帝大文科大学英文科に入学し、文部省貸費生、翌年には特待生となる。明治26年7月に大学を卒業。大学院へ進学するとともに、東京専門学校、東京高師の英語教師となる。明治28年、愛媛県尋常中学(松山中学)の英語教師となり、松山に赴任。翌29年には結婚、五高教授に就任し熊本へ。明治33年、文部省留学生としてイギリスに留学。帰国後、一高教授に就任、帝大文科大学の講師を兼任した。明治38年に「吾輩は猫である」を、次いで「倫敦塔」を書いて、文壇に地歩を築いた。朝日新聞社入社第一作の「虞美人草」は失敗作であったが、それでも漱石が心血を注いで書いたということで評判になり、三越が虞美人草浴衣を、王宝堂が虞美人草指輪を売り出すなどしたという。神経衰弱と胃腸病に生涯、悩まされ続けた。著書に『彼岸過迄』『行人』『こゝろ』などがある。

 本書収載の「猫の墓」は、明治42年1月23日、24日の『大阪朝日新聞』に発表されたのが初出。


宮沢賢治(1896~1933)
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 詩人、童話作家。岩手県花巻生まれ。家は質屋と古着商を営んでおり、花巻では最も富裕な層に属していた。賢治はそれを気に病んでいたようで、後年、自分は「この郷里では財ばつと言われるものの社会的被告のつながりにはいっている」と書いている。盛岡中学を経て盛岡高農に学び、大正7年に卒業後も研究生として残り、関豊太郎教授の下で稗貫郡の土性調査に従事した。同年暮れ、当時日本女子大に在学していた妹のトシの病気看護のために母とともに上京。トシ全快後も一人東京にとどまり、人造宝石の製造などの事業を考えたが、父からの資金援助を得られず断念している。高農卒業時にも、ヨードや海草灰の製造、木材乾溜、石灰岩の採掘などの事業に就くことを望んだが、父の反対にあい、断念していた。父は熱心な浄土真宗の信者であったが、賢治は父への対抗心からか法華教に帰依し、大正9年には日蓮宗系の国柱会に入会している。大正10年12月、稗貫農学校(現・花巻農業高校)の教諭となる。大正15年3月に退職。百姓になる決意をし、花巻郊外下根子桜にあった宮沢家の別荘に一人移り住み、開墾、耕作の生活を始めた。しかし、体をこわし、昭和3年8月には家に戻り、病臥のやむなきに至った。著書に詩集『春と修羅』、童話集『注文の多い料理店』『グスコーブドリの伝記』などがある。

 本書収載の「猫の事務所」は、大正15年3月『月曜』に発表されたのが初出。


寺田寅彦(1878~1935)
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 物理学者、随筆家。東京都平河町生まれ。明治32年9月、東京帝大理科大学物理科に進学。上京後『ホトトギス』に文章を載せはじめる。大学を主席で卒業し、大学院では実験物理学を専攻。明治37年9月、東京帝大理科大学講師に就任。同42年1月に助教授。同じ年の3月には文部省の命により宇宙物理学研究のためにドイツに留学し、同44年6月に帰国。大正5年11月に教授に任命されている。また一方、薮柑子、牛頓(にゅうとん)、寅日子、木螺山人などのペンネームで文章を発表する。大正9年11月に『中央公論』に「小さな出来事」発表以降は、吉村冬彦のペンネームを用いる。著書に、『冬彦集』『薮柑子集』『続冬彦集』などがある。

 本書収載の「ねずみと猫」は、大正10年1月『思想』に発表されたのが初出。


田中貢太郎(1880~1941)
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 小説家、随筆家。高知県長岡郡三里村生まれ。郷里にて代用教員や新聞記者をつとめた後、23歳の時に上京。病のため帰郷したが、27歳の時に再び上京し、田岡嶺雲や大町桂月と親交を結んだ。明治45年5月、雑文集『四季と人生』を出した。大正3年12月、『中央公論』に「田岡嶺雲・幸徳秋水・奥宮健之追懐録」を発表してから、実録もの、情話ものの書き手として知られるようになる。さらに怪異譚、伝奇的小説へとフィールドを拡げていく。昭和9年に随筆を主にした雑誌『博浪沙』を創刊。この雑誌には榊山潤、添田知道、井伏鱒二、田岡典夫らが書いている。昭和14年に『林有造伝』を書くために帰郷した際、胃潰瘍により吐血し、療養生活を送ることになった。著書に『旋風時代』『志士伝奇』『孔子と其の生涯』などがある。


海野十三(1897~1949)
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 小説家。徳島市生まれ。大正15年、早稲田大学理工学部を卒業。逓信省電気試験所研究員となる。昭和3年4月、『新青年』に「電気風呂の怪死事件」を発表する。以降、トリックを駆使した「爬虫館事件」のような作品や、SF風味の探偵小説「俘囚」のような作品を書いた。またSF的な作品として「蠅男」などがある。さらには、少年向けSFの開拓者として、「地球盗難」のような作品も書いている。丘丘十郎の名で昭和12年4月、『新青年』に「軍用鼠」を書いて以降、軍事小説にも筆を染めた。昭和17年1月、海軍報道班員として従軍。海軍報道班作家を組織して文学挺身隊を作ったりもしている。敗戦の折、一家心中を決意して友人にとめられるというようなこともあった。『海野十三集』全4巻(昭和55年、桃源社)がある。

 本書に収載した「透明猫」は、昭和23年6月『少年読物』が初出。


島木健作(1903~1945)
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 小説家。札幌市生まれ。大正8年に上京し、医者や弁護士の玄関番をしながら、夜は正則英語学校に通っていたが、過労と栄養失調のため肺結核にかかる。やむなく帰郷し、療養生活を送っているときに書いた「章三の叔父」が『万朝報』の短編作家募集に当選。この頃、河上肇の『貧乏物語』を読み、社会科学に関心を持つようになった。大正10に知人に援助してもらい、私立北海中学4年に編入学し、大正12年に同校を卒業すると再び上京。帝国電燈株式会社に職を得て働きながら、図書館やアテネ・フランセに通い学んでいたが、その年9月に関東大震災に遭い、再び帰郷することを余儀なくされた。帰郷後は北海道帝大付属図書館雇員として、翌年は同大学農業経済学研究所に職を得て過ごす。大正14年、東北帝大法学部選科に入学。やがて東北学連の中心的存在となり、仙台で初めての労働運動を組織することになる。昭和2年、共産党に入党。学業を放棄し、四国に渡り、日本農民組合香川県連合会書記となり、農民運動に挺身する日々を過ごす。昭和3年2月の国政選挙の際、検束され、一審で懲役5年の判決を受ける。二審の控訴公判廷で転向。昭和7年3月、仮釈放で出所する。昭和9年4月、獄中生活でのエピソードを小説風に綴った「癩」を『文学評論』に発表。さらに同年10月の『中央公論』に「盲目」を発表し、新人作家としての認められることになった。著書に『黎明』『再建』『生活の探求』などがある。

 本書に収載した「黒猫」は、昭和20年11月『新潮』に発表されたのが初出。


薄田泣菫(1877~1945)
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 詩人、随筆家。岡山県浅口群大江連島村(現・倉敷市敷島町)生まれ。岡山県尋常小学校を2年で中退、以降独学にて学ぶ。明治27年に上京。漢学塾で助教をしながら、夜は塾長の講義を聞き、昼は図書館に通って和漢の古典や欧米の文学書を乱読するという生活を続けた。明治30年5月、『新著月刊』に投稿した「遊子」などソネット11編が、後藤宙外、島村抱月に認められ、同誌に掲載される。徴兵検査の際、結核であることが分かり療養生活に入る。明治32年11月、大阪の金尾文淵堂から第一詩集『暮笛集』を出し、詩壇的地位を確立した。初版5000部が2か月で売り切れたといわれている。明治33年10月、金尾文淵堂から招かれて文芸雑誌『小天地』創刊に携わり、その編集名義人となる。このときの月報45円。島崎藤村が詩を書かなくなり、土井晩翠の詩がマンネリズムに陥っていた明治三十年代中半、泣菫は詩壇の第一人者としての地位にあった。しかし、明治36年1月、この『小天地』が休刊となり、また健康状態が優れなかったため、静養のため同年8月には京都に移った。しかし定収の途を絶たれた生活はすぐに困窮し、明治37年2月には帰郷している。泣菫には国内外の時事問題に材をとり、批判の声を上げた「遺憤九首」「あゝ杜国絶句十篇」のような異色の連作ソネットもある。明治39年に結婚。大正元年8月に、大阪毎日新聞社に入社。大正4年には学芸部副部長、大正8年には部長に昇進している。大正4年4月から同紙に連載したコラム「茶話」で評判をとり、随筆家としても認められることになる。芥川龍之介、菊池寛を同社に入社させたのは、泣菫である。40歳の頃からパーキンソン病を発症し、体が不自由になったため、大正12年に同社を退いた。しかし、その後も口述筆記によって『太陽は草の香がする』など6巻の随筆集をまとめた。著書に詩集『白洋宮』、随筆集に『艸木虫魚』『独楽園』などがある。

 本書に収載した「黒猫」は、昭和2年『猫の微笑』に収められた。

Public Domain(著作権が公衆のもの)になった名作のテーマ別アンソロジー。名著入門、再読の手引として巻末に作家紹介を付けた。本文は14Qと大き目の活字を使用し、新字・新仮名遣いで表記した。難読漢字はもとより、送りがなが本則でない漢字にもフリガナを振ってあります。現代では理解しにくい歴史事項や人名には文中に割り注で説明を加え、中学生から団塊の世代まで幅広い世代に楽しんでいただけるよう工夫しました。

目次

猫(豊島与志雄)
虎猫平太郎(石田孫太郎)
猫の墓(夏目漱石)
猫の事務所―ある小さな官衙に関する幻想(宮沢賢治)
ねずみと猫(寺田寅彦)
義猫の塚(田中貢太郎)
透明猫(海野十三)
黒猫(島木健作)
黒猫(薄田泣菫)

著者等紹介

吉田和明[ヨシダカズアキ]
評論家・コラムニスト。千葉県館山市生まれ。法政大学経済学部卒業。東京工業大学社会理工学研究科博士課程修了。1980年代に綜合評論誌『テーゼ』を創刊、主宰。86年より、日本ジャーナリスト専門学校講師。また、この間、大学やカルチャーセンターなどの講師も務める。評論執筆の傍ら、『北海道新聞』など地方紙を中心に、コラム、書評、エッセイなど400本以上を執筆する

新田準[ニッタジュン]
1947年生まれ。上智大学外国語学部ロシア語学科卒業。卒業後商社勤め10年間のあいだに、ウイーン駐在東欧巡回員などを経験。凱風社設立メンバー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。

感想・レビュー

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shinano

12
ネコアイという題なのだが、はて?と思う作品もある。猫「の」愛、猫「への」愛、これらの所謂「情」は読めた。しかし、収録作品での小説で、これらの執筆時代の著者が感じている世相や人間社会において、孤高にふてぶてしく力強く生きることや圧倒的大きな力に踏み潰される弱い存在を人に代わって「猫」に演じてもらっている。題への疑問が残る。本書の著者たちで、漱石だけは猫より犬好きというのが定説だときいているが。漱石、寅彦の随筆はやはり秀逸だ。豊島与志雄猫随筆も初読だがいい。本書解説も解説の枠を越えていい。猫ものは随筆がいい。2011/06/23

PIPI

0
著作権切れを利用した出版。猫好きの有名作家が、猫をどう描いているかを抜き書きする。2009/01/15

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