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密漁の海で―正史に残らない北方領土

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  • サイズ B6判/ページ数 387p/高さ 20cm
  • 商品コード 9784773628159
  • NDC分類 319.103
  • Cコード C0095

出版社内容情報

領土問題が解決できないため、納沙布岬から見える根室海峡は国境の画定していない海である。レポ船の首領(ドン)、海霧(ガス)の中を跋扈した超高速の特攻船、元締の暴力団幹部、ロシアの密漁船、その密漁ビジネスを仕切った水産マフィア、そのマフィアに癒着した国境警備隊……。そして、2004年の参議院選に出馬を決めた前衆議院議員・鈴木宗男、異能の外交官と呼ばれた元外務省主任分析官・佐藤優などのムネオスキャンダルの主役や脇役、また、日ロの外務官僚や政治家たち――彼らは国の都合で、ある時は「愛国者」となり、ある時は「国賊」と呼ばれた。1956年の日ソ共同宣言から小泉政権に至るまでの北方領土と対ロ政策の流れ、そこに登場しては消えていった人々を追った一挙読破の人間ドキュメント。

プロローグ 「国境の海」をめぐる物語

第1章◆北島丸事件

第2章◆レポ船の誕生

第3章◆ジャテック事件

第4章◆首領(ドン)の時代

第5章◆冷戦のはざまで

第6章◆特攻船の隆盛

第7章◆ゴルバチョフ訪日とソ連崩壊

第8章◆癒 着

第9章◆四島の日本化

第10章◆水産マフィアの抗争

第11章◆分裂する対ロ政策

第12章◆西の「北方領土」

第13章◆消えた並行協議

第14章◆逆 転

第15章◆それぞれの「国益」

第16章◆海霧の中で

エピローグ 宴の後に


◆プロローグ 「国境の海」をめぐる物語


●海上保安庁長官の視察

 二〇〇二年十月下旬、海上保安庁の深谷憲一長官が根室・納沙布岬を訪れた。国土交通省航空局長から八月一日付で、就任したばかり。もちろん納沙布岬を訪れたのは初めて。しかし、この訪問はマスコミにも事前に知らされることはなかった。深谷長官はじめ、同行した第一管区海上保安本部(本部・小樽)の杉原和民本部長、根室海上保安部の三村孝慈部長らも全員が目立たない背広姿だった。訪問の目的は「国境の海」の視察だった。

 海上保安庁の英文名称は「JAPAN COAST GUARD(日本沿岸警備隊)」。二〇〇一年十二月二十二日、九州南西海域で北朝鮮のものとみられる不審船が、海上保安部の巡視船に発砲、その後、自爆して沈没した事件は「沿岸警備隊」としての保安庁の存在をあらためてアピールした。

 不審船や中国の密漁船、密航目的の漁船が横行している南西海域と同様、納沙布岬から望む北方領土水域は、別の意味で一九四八年四月の海上保安庁発足以来、重点警戒海域だったし、いまもそうなのだ。

 ここは戦後、旧ソ連、それを継承したロシアが不法占拠した北方領土と接してきた海域であートル)が続く。さらに右手に目を移すと歯舞諸島が眼前に広がる。水晶島、勇留島、オドケ岩、萌茂尻島、秋勇留島。その右手はもう、納沙布岬灯台の陰になって見えない(二~三頁・地図参照)。

 納沙布岬から水晶島まで七キロ。その水晶島にはロシア国境警備隊が常駐し、レーダーを備えた施設もある。一三・七キロ離れた秋勇留島にも警備隊が常駐し、この二島に国境警備隊のアントノフ型補給艦(五〇〇〇トン)が燃料や食料を補給していく姿を時折、見ることができる。

 納沙布岬に最も近い島は貝殻島だ。岬から三・七キロ。島といっても、ここは岩礁に過ぎず、貝殻島灯台が建っているだけだ。

 戦後六〇年近くが経過しようとしているが、日本とロシアの間には、平和条約が締結されておらず、国境線は画定していない。というより、国境線を画定できないから平和条約を締結できないのだ。その最大の障害が北方領土の帰属問題である。

 とはいえ、事実上の国境線は存在する。北海道と、ソ連が自国の領土と主張し、実効支配している北方領土との中間地点を結んだ線がそれだ。納沙布岬から見ると、貝殻島と納沙布岬との中間点、一・八五キロ地点が最も近い、事実上の国境> 根室海保の発表(二月二十一日)によると、竹野は一月三十一日、知事の許可を得ないで、共謀して、自ら所有する第18由勢丸(一一トン)を使い、色丹島周辺水域でタラ刺し網漁をした疑い。

 また、その約一カ月後の三月十七日、根室海保は同じく北方領土周辺水域でタラ約八・四トンを密漁したとして、道海面漁業調整規則違反(無許可操業)の疑いで、根室市内の船主で、漁業・山中恵三(仮名)ら八人を逮捕した。海保の発表では、山中らは共謀して、一月三十一日ごろ、道知事の許可を得ずに山中所有の第38由勢丸(一九トン)を使い、色丹島周辺水域でタラ刺し網漁をした疑いがあった。

 密漁の日付や場所を見ても分かるように、根室海保は第18由勢丸、第38由勢丸は共同で操業していた、とにらんでいた。

 この密漁事件が注目されたのは、密漁の現場が海保の監視の目が届かない北方領土水域だったことだ。通常であれば、密漁の事実は分からないし、確認もできない。「通常より一〇倍の水揚げをした船がいる」との通報を受けた海保が内偵し、レーダーの記録や燃料の消費量などから越境を確認した、と発表したが、いずれも状況証拠であり、容疑者が否認すれば公判維持は難しいンを越えて、北方領土水域に掛かっているが、ほとんどは中間ラインの内側にある。しかも、中間ラインに沿ってその手前に「危険推定ライン」が引かれ、各漁船はこれを越えないように操業するよう道、漁協、海保など関係機関に指導されている。この「危険」とはロシア(旧ソ連)の警備艇に拿捕される危険を意味する。

 つまり、中間ラインを越えることは、日本の法律(道海面漁業調整規則)に違反し、しかも拿捕される可能性もあるのだ。それでも中間ラインを越えようと思うのは、ラインの向こう側に行けば、水揚げ増が期待できるからだ。根室側の前浜(陸から見て目の前に広がる海のこと。沿岸漁業の漁場を指す)での水揚げは年々やせ細っているが、ラインの向こうは国境警備隊に守られて、資源が保護されてきたからだ。

 水揚げアップか、拿捕の危険か――この二つをてんびんにかけた漁師たちは、ロシア警備艇のスキを見て、少しでも「向こう側」へ行き、水揚げ増を狙うことになる。もちろん、中間ラインを越えず、常にまじめに操業している船も少なくないが、漁船が中間ラインを越えること自体は、程度の差こそあれ、そう珍しいことではない。


●国境警備隊もカネ次第
た。

 かつて横行したレポ船は、北方領土水域での操業の見返りに情報を与えたが、いまはカネだ。ところが、わたりをつけていたはずの国境警備隊は二〇〇二年二月三日、突然、山中の乗った第38由勢丸を拿捕し、択捉島へ連行してしまう。これは、Kにとっても驚きだったようだ。拿捕を知ったKは、根室に寄港していたロシアの運搬船に乗り込み、択捉へ向かった。そして、ロシアの国境警備隊と山中の釈放を求め、直談判する。山中らは一カ月後に解放され、三月七日、根室・花咲港へ戻る。根室海保が山中らを逮捕したのは、その一〇日後(三月十七日)だった。Kがどんな手段で、山中らの釈放を実現したのか分からない。しかし、Kがロシア国境警備隊と大きなパイプを持っていることは間違いない。

 それにしても、国境警備隊は山中の操業を容認しながら、なぜ、その詳細な操業状況を記録し、日本側に通報したのだろうか。考えられるのは国境警備隊が一枚岩ではなく、日本側と通じてわいろの見返りに操業を容認するグループと、それに反発するグループがあることだ。反発するグループが、国境警備隊の「正常化」を願っているのか、「おれたちにも分け前をよこせ」と思っているのか分からな当てのポイントに到着すると、次々に海に入り、ウニを集めて小船に引き揚げる。

 この水域に現れるロシア漁船は、同時に一〇隻を越えることもある。二〇〇二年五月十八日には一三隻が確認された。ロシアの警備艇が姿を見せても、彼らは逃げることはしない。警備艇の動きは奇妙だ。密漁船のうちの一隻に接舷するだけで、しばらくすると、そのまま何事もなかったかのように姿を消してしまう。「水産マフィア」と話がついているようだ。

 潜水士によるウニの密漁は、季節を問わない。二〇〇一年十二月二十二日午後二時三十五分ごろ、納沙布岬に近い根室市珸瑤瑁沖で、付近をパトロールしていた根室海保の巡視艇「きたぐも」(一五七トン)は、ロシア船が海に人が落ちたことを示す赤と黄の国際信号旗を掲げているのを、たまたま発見した。ロシア船はネマーン号(五九七トン、三〇人乗り組み)といい、無線で事情を聴いたところ、貝殻島の西約一・八キロのロシア主張領海内で、ウニ漁をしていた潜水士ワシリー・キタイゴーラツキーさん(四五)=サハリン州コルサコフ在住=が、同日午前九時前を最後に姿が見えなくなった、という。「きたぐも」と、同じく応援の根室海保の巡視船「かむい」かけた。その男は雪の舞う中を、納沙布岬と根室市街を結ぶ道道を根室方面へ向かってとぼとぼと歩いていた。早朝に、しかも黒いドライスーツ姿。異様な光景だが、こうした光景が見られるようになったのは、この日が初めてではない。

「また、ロシア人が歯舞のウニを捕ってるな」

 お年寄りは、いまいましそうにつぶやいた。

 男は漂流者ではない。歯舞の前浜からウニをこっそり採取していた密漁者だった。関係筋によると、密漁の手口は次の通りだ。ロシア人密漁者は、北方領土から根室にウニを運んでくる運搬船に乗って、歯舞沖のポンコタン島付近まで来ると、夜陰に乗じて海に潜る。運搬船は、密漁の潜水士を海中に残したまま、目的地の根室・花咲港に向かう。潜水士は海底のウニをかき集め、袋に詰めて、ポンコタン島から沖に張っているロープに結びつける。朝になると、歯舞の浜に上がり、携帯電話で花咲港にいる船に連絡し、日本人の協力者が車で向かえにやってくる。運搬船は北方領土へ戻る途中、ポンコタン島の沖で海中のウニ袋を引き揚げ、島へ持ち帰る。このウニは次回、ロシア産として、根室へ運ばれることになる。

 歯舞のお年寄りが「異様な光景」を目撃した。北方館は一九八〇年八月に開館した領土返還運動の拠点施設だ。二階に上がると、海に向いた広いガラス越しに、島々のパノラマが広がる。展示品は北方領土の北側に日露の国境を定めた日露通好条約(下田条約。一八五五年)の写しや、千島・樺太交換条約(一八七五年)の写しなど。北方館の二階は、戦前の島民たちの暮らしぶりなどを紹介した「望郷の家」(一九七二年四月開設)につながる。その境に、北方領土を視察した政府要人の一二枚の写真パネルが飾ってある。

 パネルの左上は一九八一年、「北方領土の日」(二月七日)を制定し、首相として初めて納沙布岬を訪れた鈴木善幸首相、その右には二〇〇一年三月、プーチン・ロシア大統領と会談し、イルクーツク声明をまとめた森喜朗首相、その右下は二〇〇二年八月、いわゆるムネオスキャンダルにからんで、不満を爆発させていた元島民たちと直接対話のために根室を訪れた川口順子外相、その下には、エリツィン・ロシア大統領と「ボリス・リュウ」の関係を築き、歴史的なクラスノヤルスク(ロシア共和国中部の都市)、川奈(静岡県伊東市)の各首脳会談に臨んだ橋本龍太郎沖縄・北方対策担当相……宇野宗佑外相。森首相の写真には、ムネオスキ

切り裂かれた「国境の海」に暗躍した男たちの正体は!? あのとき「密漁の海」で一体何が起きていたのか!! 「ムネオスキャンダル」の核心とは何か? 日本の「対ロ政策」はどこへ向かうのか……。

内容説明

ソ連に情報を渡して漁を許されたレポ船、根室海峡を切り裂いた特攻船、ロシアの密漁船の船主たち。密漁ビジネスを仕切った水産マフィアや、マフィアと密着した国境警備隊幹部。この同じ舞台で「暗躍」した政治家や外務官僚。彼らは国策の都合で、ある時は「愛国者」となり、ある時は「国賊」と呼ばれた。こうした主役や脇役を通して北方領土問題の核心に迫ったドキュメント。

目次

「国境の海」をめぐる物語
北島丸事件
レポ船の誕生
ジャテック事件
首領の時代
冷戦のはざまで
特攻船の隆盛
ゴルバチョフ訪日とソ連崩壊
癒着
四島の日本化
水産マフィアの抗争
分裂する対ロ政策
西の「北方領土:
消えた並行協議
逆転
それぞれの「国益」海霧の中で
宴の後に

感想・レビュー

※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。

紙魚

1
ムネオスキャンダル当時、無知だった自分を恥じる。北方領土問題はあまりに遠くのことだった。後半の鈴木宗男、佐藤優らのロシア交渉と二島先行論の概略も面白いが、前半の根室漁民とソ連国境警備隊との奇妙な関係については目から鱗だった。島と海をめぐって、ある時は愛国者に、またある時は国賊となる。目には見えない線をどのように越えるかで対応が変わるだなんて、おかしくもある。2009/05/29

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