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民俗知識論の課題―沖縄の知識人類学 (第2版)

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  • サイズ A5判/ページ数 284p/高さ 21cm
  • 商品コード 9784773628135
  • NDC分類 389.199
  • Cコード C3039

出版社内容情報

沖縄に関する社会・文化人類学研究の論文集。収載した論文はもともと、著者の80年代の研究成果を集めたものだが、本書の主題である《民俗知識》は、研究者個々人の知識を通して文化の《多声性》を知りうるテーマとして、最近のポストモダン思想の中で再評価されている。そうした背景のもとに、第二版として判型を四六判からA5判に拡大して刊行する。「沖縄学」のみがローカルなテーマとして扱ってきた「門中」「風水」「歌謡」などを80年代に採り上げた先駆的論文集。

はじめに

第Ⅰ部:知識論
 民俗的知識の動態的研究
 知識と文化

第Ⅱ部:親族論
 沖縄社会研究の回顧と展望:1964~1983
 Descent 理論の系譜
 民俗的親族体系について
 「家族」概念の限界

第Ⅲ部:風水論
 風水思想の世界観研究・序説
 風水の比較文化誌

第Ⅳ部:歌謡論
 地方神歌の伝承性
 地方神歌の社会性
 沖縄の海神祭

あとがき

はじめに

 本書は,1980年代に発表した社会・文化人類学研究で,主として沖縄研究に関連する論文を中心に編んでなった旧著(1990年刊)の新版である。旧著はすでに書評ほかでいくつかの長短所の評価を得ているが,21世紀に至っても依然として旧著の試みは有効であることを,最近のポストモダン思想の流行で知った。本書の主題である《民俗知識》こそは構築された最たる研究対象であり,個々人の知識を通して文化の《多声性》を知りうるからである。

 そこで旧著を新版に替えて,再び旧時のわたくしの研究活動を再現することにした。収載した論文は,研究目的と方法を異にする既発表のものながら,副題に掲げた〈知識人類学〉的研究をめざそうとしたことでは同一であり,かつ論理的にも相互に深い関連をもっている。わたくし自身にとっては新しいこの人類学的研究は,期せずしてちょうど1980年から始まっている。つまり本書各章は,1980年代を通じてずっとわたくしの脳裡から離れなかったそれぞれの課題に応えたものであり,なおまだ研究のジャンルを拡大しつつ進行中の研究である。

 本書を刊行するにあたり,あらかじめわくしは2種類の読者を想定した。

 第1は,沖縄所在は,大別して現地話者に関係する次元――より正確にいうなら人類学者と現地話者との関係次元――と,人類学者それ自身に関係する次元に分けることができる。

 人類学者が現地で生活して相手の社会や文化を諒解しようとするとき,はたして何をもって社会の集合表象とし,何をもって文化のエトスとしてきたか。データとして得られた情報源こそ,相手が獲得し開陳してきた知識にほかならない。しかし知識はシュッツ(A. Schutz)のいうように,成員間に不均衡に分配されている。社会に一様ではなく,しかも個々人のもつ知識それ自体がかならずしも体系的ではない,正当性の相異なる知識の何をもって当該社会の代表としてきたか。人類学の対象が異文化といい,前産業社会と称しても,その担い手の知識は単数でもなければ単体でもなかったのである。いまどきの表現を藉りるなら《多声性》の描写ということになるだろうか。

 異郷を知れば知るほど,知識の担い手としての個人の差がみえてくるし,相互に異なる知識間の関係およびその変化が理解できるようになる。相手の知識理解は,異文化研究の要である。ただし,社会・文化人類学の社会・文化理解は,個人そのものの理解や知識そのもうに体系づけられているか,人類学者によってこれまで逐一明らかにされてきたけれども,それらが当該社会の大系であるようにみえて,実際は人類学者みずからの基準を絶対視したオリエンタリズム的な人類学者自身の知識の体系だったのではなかったか。またさらに,人類学の分析概念にもとづく比較基準によって人類社会の普遍性と個別性がこれまで明らかにされてきたが,人類学者の定義にもとづく分析概念それ自体,人類学者の文化的知識や権力を代表する公準にすぎなかったのではなかろうか。

 あげればきりがないほどに,これまで人類学者の知識の非普遍性・主観・文化的特性および変化や権力が問題視されてきた。それらはことばを換えていえば,「人類学者自身もまた人類である」ということの自覚である。このような双方の知識を等視しうる人類学の分野,それが〈知識人類学〉なのである。現地話者の知識の諸性質と人類学者の知識とを相対化すること,その相互作用の実態を明示すること,これらは決して従来の民族誌的成果を否定することでも,人類学の既成の分析概念を拒否することでもない。むしろ従来の人類学的研究の再評価につながっていくはずである。重要なことは,既成の人類学の知識,「門中」研究・祭祀組織研究・位牌祭祀研究・民俗的世界観の研究・神観念霊魂観の研究・シャーマニズムの研究など,〈沖縄学〉の視野からみると偏りの大きなものだった。というのも,それらの研究はみなすべて社会・文化人類学上の理論的目的,いい換えるなら従来の「人類学的知識」を満たしうる研究だけだったからである。

 しかし〈民俗知識論〉の観点からすれば,沖縄文化というのは時代状況を反映した,創られた沖縄的知識の共同態である。かつまた沖縄社会とは,創られた沖縄的知識の分有共同体である。沖縄的知識には,すなわち位牌祭祀やシャーマニズムに限定された知識は存在しない。それに限りがあるとすれば,それは沖縄的知識の限りである。「門中」しかり,「風水」しかり,「神歌」しかりである。だから沖縄的知識を諒解しようとすれば,当然話者の知識の類型学や知識評価にしたがって,研究は拡大していかねばならない。少なくとも〈知識人類学〉の視野は,沖縄的知識に準拠してほぼ無限に拡大していくであろう。本書で,〈沖縄学〉としてはあたりまえの研究だが人類学としては初めて対象にする研究が少なくないのはそのためである。

 そこで今度は,本書の研究が沖縄br> つまりわたくしの〈民俗知識論〉は,たしかに沖縄的知識の理解をめざして議論を組み立てたものだが,それは独善的で自己の宇宙に埋没してしまうような,文化相対主義的な沖縄学・地域学をめざしているわけではないのである。沖縄学が,外に開かれた知識を併せ持った学問でなくては,それは他学に対して自立的な学問体系をもったものだとはいえない。すなわち沖縄研究者もまた,人類学者が当面している課題,つまりみずからの独善的で自己中心主義的な知識のありかたを問わねばならないのである。「門中」はたしかに人類学者のいう「父系出自集団patrilineal descent group」そのものではない。しかし逆に,なぜこれまで人類学者が「門中」を父系出自集団だと認識しつづけてきたのか,他者の所持する権力や知識をも顧みなければ,それは自立した沖縄研究ではないといいたいのである。

 第2の読者に対してわたくしが本書で期待しているのは,こうした他者の知識の力関係のありようの理解である。

 あらゆる人類学研究や社会・文化研究は,このように研究者と話者の知識の差を認め,かつ研究者間・話者間に存在する知識の差を諒解することから出発せねばならない。そうわたくしは思知識の蓄積過程である。社会・文化人類学の知識伝統はヨーロッパにあり,とりわけ英語圏にあるので,問題とする概念はできるだけ原語表記とした。そして第3に,われわれの知識である分析概念と沖縄の知識を代表する民俗概念を用いて,どれだけ沖縄の民俗的知識に接近できるか試みてみたい。民俗的知識はとかく民族固有の知識だと思われがちであるが,通文化的にも民俗的知識の共有が可能なのではないかということで,漢族の民俗的知識とも比較検討したいと思う。

 第Ⅲ部は「風水論」である。「風水」に関する知識は,親族論などとは違ってヨーロッパおよび日本本土の研究者には沖縄や中国などと共有すべき知識がない。だからまったく一方的に多くの研究者に与えられる現地からの知識を,われわれ,とくに本土人類学者はどのように理解し,その知識を吸収すべきであるか,その試論が展開できればと思う。

 第Ⅳ部は「歌謡論」である。この分野は「風水論」などとともに,これまで沖縄研究の人類学者がまったく理解できず,研究対象にもできなかった問題である。沖縄に伝えられる歌謡知識は,沖縄の風水知識とともに民俗的知識でありながら〈秘儀〉〈秘伝〉に属する専門的知識であった

知識論、親族論、風水論、歌謡論の4論で構成。研究者にとって「知識」とはどのようなものなのかを、自らの研究対象から考える。

目次

第1部 知識論(民俗的知識の動態的研究―沖縄の象徴的世界再考;知識と文化―沖縄の慣例的知識)
第2部 親族論(沖縄社会研究の回顧と展望:1964~1983;Descent理論の系譜―概念再考 ほか)
第3部 風水論(風水思想の世界観研究・序説―象徴空間と神秘力の測定法;風水の比較文化誌―東アジアのなかの沖縄風水知識考)
第4部 歌謡論(地方神歌(ウムイ)の伝承性―民俗的知識の動態的研究補遺
地方神歌(ウムイ)の社会性―歌謡伝承と民俗知識の周辺 ほか)
第5部 要約と結論

著者等紹介

渡辺欣雄[ワタナベヨシオ]
1947年東京生まれ。1975年東京都立大学大学院社会科学研究科博士課程(社会人類学専攻)修了。社会人類学博士。現在、東京都立大学教授(社会人類学)
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