目次
第13代将軍家定の突然の死
漢方医と西洋医の対立
日露戦争と脚気
誰がビタミンを発見したか
著者等紹介
板倉聖宣[イタクラキヨノブ]
1930年東京下谷(現・台東区東上野)に生まれる。1951年学生時代に自然弁証法研究会を組織。機関誌『科学と方法』を創刊。1958年物理学の歴史の研究によって理学博士となる。1959年国立教育研究所(現・国立教育政策研究所)に勤務。1963年仮説実験授業を提唱。科学教育に関する研究を多数発表。教育の改革に取り組む。1973年教育雑誌『ひと』(太郎次郎社)を遠山啓らと創刊。1983年教育雑誌『たのしい授業』(仮説社)を創刊(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
※書籍に掲載されている著者及び編者、訳者、監修者、イラストレーターなどの紹介情報です。
感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
うーちゃん
1
脚気の原因論争のことは、海軍医・高木兼寛を描いた吉村昭「白い航跡」を読んでいたので多少知ってはいた。しかし、論より証拠で麦飯を食べさせ脚気を克服した海軍に対し、陸軍側は一枚岩で細菌説をとっていたのだとばかり思っていたが、板倉さんのこの本で、陸軍も現場に近いほど麦飯がであることが分かっていたのだと知った。しかも、江戸時代から脚気の克服法を体験的に理解していた漢方医がいたとも本書には書かれている。蘭方医が漢方医に太刀打ちできぬ分野があったとは……。薄い本ながら内容は濃く、しかも語り口は極めて平易だ。2014/01/19
健康平和研究所
0
模倣の時代を簡潔にしたもの2024/10/06
samandabadra
0
副題「日本人の創造性をめぐる闘い」がすべてを言い表している。社会主義諸国の社会史を専門に初期の資料を紐解いていくと、伝統を否定し医学や農業、工業の分野で科学的な視点がいかに社会に貢献し、それが導入される以前の時代がいかに悲惨だったかが語らている。逆に今は環境破壊の教訓と共にしれっと伝統が見直されたりしている。司馬遼太郎が描く「道を誤った日本」をテーマにした著作では、エリートが自信満々に他者の意見を踏みにじったことで悲劇的な結末を多くの人が味わい苦しむ結果を迎えるのだが、同じ展開と結末が脚気の歴史にも見える2024/05/27