出版社内容情報
キリスト教史上、最もラディカルな思想家であるエックハルト。
それ自体すでに無相である神を突破するとはどういうことか?
「存在そのもの」である「神」からすら区別される「神性」「神の根底」とは何か?
神のすべてを持ってしても満足しない知性が求める究極の真理とは?
善なる真理、永遠の真理、不変の真理にかけて言うが、この光(=魂の火花=知性)は、純一で静止している──与えることも受け取ることもしない──神の存在にすら満足しない。さらにこの光は、その存在がどこから来たのかを知ろうとする。この光は、いかなる区別も、父や子や聖霊すらも、その内を決して窺ったことのない単純な(神の)根底、静寂なる荒野へ進もうと欲するのである。 ――マイスター・エックハルト
内容説明
それ自体すでに無相である神を突破するとはどういうことか?「存在そのもの」である「神」からすら区別される「神性」「神の根底」とは何か?神のすべてを持ってしても満足しない知性が求める究極の真理とは?キリスト教史上、最もラディカルな思想家であるエックハルト。
目次
その時代と生涯
存在への問い、自己への問い
被造物の無
我性
知性
神の子の出生
放下
突破
無
根底
生
著者等紹介
松井吉康[マツイヨシヤス]
1961年大阪生まれ。1994~96年ミュンヘン大学東アジア学研究所講師。現在、京都ノートルダム女子大学等非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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kentaro mori
2
⚫︎「神の根底」「神の突破」「神の放下」「神からの自由」さらには「知性は神のすべてを持ってしても満足しない」といった言葉の考察を「エックハルト問題」と呼んでおこう。⚫︎「何が存在するのか」について私たちが何一つ知らなかったとしても、「無ではない」が一切の前提であることは確定できる。私たちは、存在の定義を知らなくても、さらにはすべての存在を知らなくても、「無ではない」が真理であり、そしてそれが一切の前提であると断言できる。「存在」ということでどのようなことを考えようと、「無ではない」は必ずそれに先行するので2025/01/13