内容説明
「もうフェミニズムに頼らなくても、女性だって活躍できる」「女性差別がなくなった現代において、フェミニズムの時代はもう終わった」と彼女は言った。では、私やあなたの心のどこかに張りついている「女であることの不安」はいったいどこからくるのだろうか。フェミニズムは終わらない。「女らしさからの自由」と「女らしさへの自由」、どちらも実現できる世界をともに目指すために。
目次
第1部 英米におけるポストフェミニズム(ポストフェミニズムとは何か;#WomenAgainstFeminismに見るポストフェミニストの主張;恋愛とフェミニズム)
第2部 日本のポストフェミニズム(バックラッシュ以後の性別役割意識の強まり;恋愛積極的態度が生み出す性別役割―「めちゃモテ」ブームの分析;性解放の終焉?―若い世代の性行動の不活発化;現代の異性友人関係―ソフレ(添い寝フレンド)の調査から)
著者等紹介
高橋幸[タカハシユキ]
1983年宮城県生まれ。2006年お茶の水女子大学文教育学部人間社会科学科卒業。2008年東京大学大学院総合文化研究科国際社会科学専攻相関社会科学コース修士課程修了、2014年同博士課程単位取得退学。現在、武蔵大学、関東学院大学他非常勤講師(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
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ネギっ子gen
45
「女性差別はなくなった」「フェミニズムの時代は終わった」との言霊に覆われる、今世。では、この「女であることの不安」は一体どこからくるか――。著者は「ポストフェミニズム」という視点から、「女らしさからの自由」と「女らしさへの自由」のどちらも実現できる世界を目指す。若い世代の性別役割分業や性行動の意識調査のデータを分析し、ハッシュタグ・ムーブメントや、『Can Cam』による「めちゃモテ」ブーム、「添い寝フレンド(ソフレ)」経験者などへの調査を通じ、現代の「女らしさ」の行方を探った書。巻末に詳細な文献紹介。⇒2022/08/13
松本直哉
29
一口にフェミニズム不要論といっても欧米と日本ではずいぶん違う。ある程度女性の地位向上を達成したあとの欧米に対して、社会の保守化と歩調を合せるかのような性別役割分業の肯定と相変わらずのセクハラ痴漢天国の日本なのに、その現状に目をつぶるようにフェミニズムのややこしい議論には無関心に、むしろ自らの性的魅力を開拓して承認要求を満足させる、たとえば「めちゃモテ」の流行に危うさを感じとる著者の問題意識は的確。不要論をただ論駁するのではなくフェミニズムをもっと豊かにするための契機ととらえる柔軟な視点にも共感した。2020/09/21
カモメ
5
ポストフェミニズムはフェミニズムに反対するものではなく「ジェンダー平等」が理想だとする点で立場を共有する。主張の中には「女らしさ重視」、自分は「女性」ではなく「個人」であるとする「個人主義」があり、望まない「女らしさ」を押し付けられることなく自分が望む姿を追求する点が共通している。現代の性行動の消極化は保守化ではなく、関係形成の社会的制約が減り、互いの感情が行動選択を決める根拠となり、個人の自由が高まったと言える。性別役割分業の支持は減っているが男性リーダーシップ規範の支持率は高いというのが興味深い。2022/02/05
いな
5
この本でいうポストフェミニズムというのが今の日本女性のマジョリティではないかと思った。自分のために女性らしくなりたい、でも女性らしくなれば社会から過剰な「女性的役割」を期待される。現代を生きる女性の各々がそれぞれの立場で女性らしさの在り方に悩んでいる、そんな印象を受けた。2020/11/25
もよこ
5
柔らかいタイトルと表紙だが中身は本格的。自分の体感としての現代フェミニズムの問題は、個人の自由な選択の範囲が拡張され、本人の自認、実際果たしている役割、そして社会での立ち位置を考えたときにもはや男/女というジェンダー二元論で括ることは困難であるにも関わらず、未だに社会(他者)からは身体の性別や外見から「男らしさ」「女らしさ」という二元論的なある種ステレオタイプを求められ、押しつけられるところの齟齬にあると感じる。フェミニズムの語る「女性」と自分、社会からみた自分の乖離が言説への抵抗を生むのではないか。2020/09/04
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