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目次
第1章 『善の研究』とその序について
第2章 第二編:実在
第3章 第一編:純粋経験
第4章 第三編:善
第5章 第四編:宗教
第6章 『善の研究』の哲学的意義
著者等紹介
氣多雅子[ケタマサコ]
1953年静岡市生まれ。1982年京都大学大学院文学研究科博士課程満期退学。1998年京都大学博士(文学)。現在、京都大学大学院文学研究科教授(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)
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感想・レビュー
※以下の感想・レビューは、株式会社ブックウォーカーの提供する「読書メーター」によるものです。
Asakura Arata
4
副読本として利用。禅宗教と言う言葉が出てきるが、禅と宗教は、厳密に言うと別物だと思っている。2020/10/11
tuppo
4
善を社会的なものと前提するのは目から鱗。個人の欲求の全てを善のシステムに組み込まない2016/11/30
Bevel
2
純粋経験って自分の意識的推移を含めてそのままの経験を記述するところからはじめるものかと思っていたけれど、西田のはそうじゃなかった。そこには「implicit」な想定がある。純粋経験とは、意志や、知的直観、欲求、直観、知識、事実、意識現象などのいろいろのものが統一されている基体のようなものと思った。理論的には区別されるが、ある理想的な状態においては事実的に区別されずに統一されているものである、というものかなあと漠然と思う。2011/05/23
鯨、或は山田
0
倫理や宗教といった、善を希求する態度と、真理の形を求める哲学的な思索は密接な関係を持ちながらもはっきりとした線引がなされている。とはいえ『善の研究』中の第三編:善と第四篇:宗教も方向性や語彙が大きく異なっているのも事実。「哲学以前」の西田と『善の研究』以降の彼との対比もあって興味深かった。2014/11/16
T.Y.
0
西田の『善の研究』の注解書。西田の用いる述語の出所を示し、さらにそれを西田がどのように読み替えて、どう独自の論を展開していったかを検討する、きわめてオーソドックスな研究作業を行っている。最後には現代に繋がる『善の研究』の哲学的意義をも問うており、良い1冊。2013/01/15